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2005.03.15

弁No.9 ホームページを開設した理由

弁No.9  私がそもそも自分のホームページを開設した理由は、このホームページのどこにもまだ書いていません。今回の開設の直接の動機はいくつかあります。最近では職場その他からWEB上やペーパーでの書き込みを要求されるアンケート類があまりに多く、自分でも各種の自己関連のデータの整理をせざるを得なくなったこともあります。そのほかにも理由はあります。しかし、最大の契機は、自分の年齢を意識したということでしょう。その説明には、私を1982年の4月に転職した北海道大学に呼んで(拾って)くださった故・遠藤博也先生のことに立ち返らないわけにはいきません。

 遠藤先生は、1977年に刊行された『行政法Ⅱ(各論)』 (青林書院新社)の「はしがき」を次のような文で締め括られました。

 「自分にとってやりたい仕事は山ほどあるのに残された時間は余りにも短い。公務と雑用の合間をぬって本書を書きながら、時折、痛切に休息の時間が欲しかった。しかし、立ち止ると身も心もぼろぼろにこぼれそうなうえ、死後の考えただけでも気の遠くなるような長い休息の時間を想うと、今はただ忙しく走り続ける他はない。」

 この文章は、先生が41歳のときのものです。先生は、末期に北大病院のベッドで、「自分は、人の3倍勉強をしてきた」とおっしゃいました。あの苦しい最期に、ラテン語の勉強をなさっていました。私にはまったく真似のできないことです。しかし、上記の先生の心境と、私の今の心境には、似たところがあります。
 その遠藤先生が亡くなられたのは、1992年4月、満55歳の時でした(1936生~1992年没)。遠藤先生については、まだ書かなければならないことが多々ありますが、今はこれ以上を記す時間がありません。
 昨年2004年は、早くも先生の13回忌の年でした。遠藤先生の享年を今年迎える私は、遠藤先生ご自身が病気を自覚されるに至ったほぼ同じ年月のときに、無意識か意識的かはわかりませんが、ホームページを立ち上げたのです。自分のやってきたことを整理するためが主要な目的です。先生の没後、ちょうど1年後に先生がいらっしゃった研究室に移動しました。その直後、先生からの啓示としか思えないきっかけをもらって、5回の入院・手術も経験しました。今、なんとか生きています。

 13日(日曜)に東京で憲法関係の研究会に出て報告をした後の懇親会で、ロー・スクール関係の教授たちは、口をそろえて、「もう死にそうだ、倒れそうだ、研究時間がない」と言っていました。ロー・スクール発足で教員の負担過重はあまりにもすさまじいものです。反復講義の多い高校の先生方よりはるかに多い講義数の同僚も増えています。数日前に書いた早稲田大の西鳥羽教授も享年53歳。いろいろ考えながら、残りの人生のあり方を模索する意味でも、このホームページを始めた次第です。いつまで続くか問題ですが。

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