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2005.03.06

弁No.4 独日法律家協会の設立経緯から学んだこと

弁No.4  日本とドイツの法理論と法実務の関係について考えさせられた出来事の第3番目としてあげるべきは、次のような際だった両国の違いです。
 1987年頃、当時、ハンブルク財政裁判所の一裁判官であったグロートヘア氏との交流から始まりました(インターネット上の現在の同裁判所は、当時の裁判所とは異なります。新築されたようです)。同氏は、ドイツの裁判官として日本の最高裁で3ヵ月の研修をした最初の人です。日本の裁判所や裁判官についての感想を聞くために、ミュンヘンから6時間はかかるハンブルクまで出かけていきました。ドイツの財政(税務)裁判所は高裁に相当します。同氏は、その後、裁判長裁判官を経て、現在、同裁判所の長官です。長官になられてから、記録映画『日独裁判官物語』(1999年公開開始)にも出演していただきました。
 同氏は、ドイツ側に事務局がある「独日法律家協会」の事実上の設立者と言ってよいでしょう。設立当初は、事務局長でした。そして、私は、1988年に設立された同協会の日本側会員の事実上の第一号だと思います。設立の年の訪独の際には、ささやかですが、設立のための寄付金をハンブルク駅で同氏に渡して帰国しました。
 日本には、長い伝統をもつ日独法学会がありますが、これにはほぼ大学研究者だけが入っているといってよい状況です。この現実を、ドイツ側は批判的に見ていました。そこで、ドイツ側で、独日の法学会を設立するにあたって、役職者を含めて多数会員を意識的に法律実務家にしようとしました。ここでも、学会ないし学会に相当する組織は、実務と理論が適度に交流し合うものでなければならないという観点が徹底しています。この協会のドイツ側会員は、ドイツだけではなく、スイスやオーストリアなどの法律家も入っているのですが、圧倒的多数は弁護士と裁判官です。研究者はボチボチというところです。日本側の会員も漸次増えてきました。ドイツ語の機関誌は毎年刊行され、現在、17号(2004年刊)まで出ています。創立当初から役職者はハンブルクに集中しています。お世話になった日本人だけでも、もう数え切れないほどになるでしょうが、設立の経緯を知っている人はきわめて少ないと思います。
 グロートヘア氏の自宅に招待されたとき、同氏から言われた言葉が忘れられません。「教授だからといって、ほとんどの人が読めない難しい論文を書いて何の意味がある? 多くの人に読まれてこそ価値があるのではないですか」、と。1990年に刊行した拙著『人間の尊厳と司法権』が学位対象の論文としては比較的読みやすい理由は、グロートヘア氏のようなドイツの裁判官たちのアドバイスがあったからこそなのです。
 説得力をもつ主張をするためには、自らが十分な理解をすることが必要であるのはいうまでもないですが、それを分かりやすく説くこと、これをドイツの実務家たちから学びました。私の考えることが実務を意識していることの遠因の一つは、以上のできごとにもあります。

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