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2005年7月の記事

2005.07.31

弁37 時代の流れ

seminar_flasche_dscf0184弁No.37 わずか1日~2日前にドイツでも大洪水のあった場所も、ここから近いところですが、当地では、このところ、昼は32度くらい、夜もほとんど気温が下がらないので、エアコン、扇風機、扇子・団扇すらないため、ただ耐えしのぐだけです。頭の回転は、いよいよ悪くなっています。ゼミでも、ご覧の通り、日本の学生たちより一回り大きなペットボトルやガラス瓶の水やその他の飲み物がのっています。実は、スーパーに行っても、レジのおじさん、おばさんも皆、横にペットボトルなどを置いて、お客さんに構わずしっかり飲んでから、次のレジ打ちにかかっていきます。秘書室や研究補助者の部屋などでも1ダース単位で1.5リットルの水を確保しています。

 さて、岡口裁判官のホームページから知りましたが、新庄一郎・広島地検検事正の自己紹介は、広島地検ホームページでは、下記のようなコメントが付いています。

   ← 画像の上にマウスを乗せると検事正のお顔がアップになりますので,
     じっくりとご覧ください。o(^-’)-chu☆゜゜

 岡口裁判官は、「 (^-’)-chu☆゜゜  なんて文字,裁判所のサイトでは絶対無理でしょう・・。」とブログに書かれていますが、現実は予想なり推測より早いのでは・・・と思います。
 
 ところで、時代の流れ、という点で一言。日本では、個人情報保護と称して次々と公務員の個人情報保護が秘匿されているようですが、私がいまいる大学の講座の紹介を見ると、秘書や研究助手は当然のこととして、アルバイトで補助作業を行う学生の名前や電子メールIDまでホームページでは公開されています。個人情報保護が大事だということと、税金で行っている公務関連の情報とは別なのではないでしょうか。現にニセコ町では全職員の氏名とIDはインターネット上で「職員録」として公開されています。ドイツの実務に照らせば、これが本来は当然でしょう。こうした経歴も、業者などによって蓄積されれば、立派な商売用の情報に加工できるのですが、そのことは個人情報保護とは、当面、別問題なのですね。

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2005.07.28

行政・自治No.12 掃除のおばさんもこれから1ヶ月間、長期休暇

speyer1988_hof_38705SpeyerGartenDSC_0195行政・自治No.12 (あとで、文章を若干直します。取り急ぎ)学生の年度末の爆発については、前回の記事の後に、<補遺>を加えておきました。このブログ始まって以来、初めて2通の私信が来ました。私にとって、もっとも、価値がありそうにない、おふざけの記事にだけ反応があったので、今まで書いてきたことは何だったのか、といささかがっくりです。
 さて、この間、新たに、ドイツ的な行政システムに触れることがいくつかありました。

 一般に、私が知る限り、ドイツの教授室の電話は直接にはつながらず、まず、秘書が出ます。この関所を通らない限り、教授本人とは話ができません。それはいいとして、最近気づいたことを2つ。

(1)あちこちの機関にインタビュー取材のアポ取りをしていますが、個人名の電子メールIDに送信しても、長期休暇中のため代理人が受信しています。本人名義の受信確認のメールだけは戻ってくるし、読んだ方から、「本人は○○まで休暇中です」と来るからわかるのです。休暇期間中の代理人は、少なくとも職場の被代理者の宛の電子メールは読めるようになっています。このように、職場には、「」としての側面しかありません。つまり、ある個人宛に、私信としてのメールも手紙も書けません。どんな役所宛の文書も複数の人の目に止まることを想定していなければなりません。その逆に、スタッフの名前や電子メールIDは、最近の日本の傾向とは異なり、全部公開されています。アルバイト的な研究支援をする学生の名前とIDすら、ホームページで公開されています。このことについては、別の「「小さな自治体」の可能性 ― いくつかの国の現実から」にも書きました。

(2)教授の秘書に電話をしました。5~6回ほど呼び出して、秘書が出ない場合には、研究助手の電話を自動的に呼び出すように設計されています。何回目から転送になっているかは、呼び出し音を聞いている限りではわかりません。教授の長期休暇中や海外出張中でも、ドイツの教授からは、秘書や助手が「委任を受けて(i.A. or im Auftrag)」として返事が来ますが、こういうシステムが確立しているから、教授たち自身は、今でもコンピューターを机の上に置いていることは少ないようです。

 さて、私の住んでいるフロアーの掃除の女性も、週末から1ヶ月、長期休暇に入ります。せっかく慣れたのに。しかし、代理の女性が、掃除のため1ヶ月やってきます。そういえば、20年前暮らしたミュンヘンでも、酒屋さんも1ヶ月以上休暇でいなくなりますが、毎年、代わりの人が来て、店を開けていましたね。小児科医や内科医は、長期休暇中は、「○○通りの▲▼医院に代理をお願いしています」という掲示をしてゆったりと休んでいます。継続してかかっていた患者についてはカルテも代行医師のところに行っているのでは。ギリシャ人やトルコ人の露店の経営者たちも、いっせいに夏休で、故国に帰っていきます。

 こちらでは、左側の1988年に写したキャンパスの緑地ですが、今年は、右の画像のように、樹木が生い茂っています。17年間の間に豊かに成長しているようです。さて、その20年の間に日本は、豊かにに成長したのでしょうか。もっとも、ドイツでも労働条件や人間関係は、競争原理で厳しくなってきていますが、それは、別の機会に。

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2005.07.26

ドイツ人学生の体力はいったいどれほどなのか

 ShinyaRyouChikaDSC_0193
 今、大学構内の学生寮の中に暮らしています。これまで、ドイツの学生寮は、入ったことも暮らしたこともないので、勝手がわかりません。運悪く、学生・院生にとって、学年の年度末の10日間とぶつかってしまいました。試験やレポート提出が終わったのか、いま、彼らは、最後の「学生時代」を過ごしているようです。フランスのエナ(ENA)に当たる全学生でも400名ほどしかいない行政大学院ですが、さすがに学年末の爆発はすごいです。昼間は、ともかく静寂。ところが、私が到着した直後から、毎晩、22時半ころになると、私が住む日本風に言った場合の2階の部屋の真下にある1階の集会室のピアノが鳴り始め、日によってはコーラス、日によっては下手なピアノ練習、日によっては、やや聞ける内容のピアノや合唱。午前2時半頃まで続きます。そのもう一つ真下のケラー(地下室)では、耳もつんざけるような音量で、パーティーです。明け方までやっているようで、日によっては朝の6時頃から、超低音のビート音楽で目が覚めます。多分、私が気づいたのが早朝で、夜通し、騒いでいたのでしょう。これがすでに1週間続きました。先ほど、1階の掲示板を見たら、今夜25日は、なんと、22時から、学内の研究棟と学生寮の間の敷地、要するに私の居室の真ん前で、バーベキューパーティー(グリル・マラソンと書いてあったと記憶します)を明日の22時までやるという掲示が出ています。つまり、これから、深夜から早朝、昼前まで、大音響のまま、というのです。深夜の地下で行われているパーティー(?)に行ってびっくりしました。全員、タキシードなどの正装で、この時間帯に煙と大音響の中で踊っています。あまりの騒音に眠れないため、1階や地下室での大騒音を止めてくれるように言ったら、あと1週間ほど我慢してくれ、と。まだ、あと4日ほどは続きそうです。いよいよ、中庭はにぎやかになってきました。今夜も眠れないか・・・。かつてのドイツの大学には学生牢もあったのですが、この写真を見る限り、地下の牢のようでもあります。ハイデルベルク大の場合には、牢に入るのが男の勲章だったとか。この狭い空間が、楽しいんでしょうね。

 <補遺>さすがに翌朝には、バーベキューセットは片付けてありましたが、翌日になった26日の午後2時になっても、まだ、地下室では轟音で音楽が鳴り響いています。最終回のゼミで早朝のものに参加してきましたが、午前8時半から10時50分まで、騒ぎとは何の関係もないかのよう淡々と行われていました。変な感動!!!

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2005.07.23

行政・自治No.11 職場における電話の公私の区別およびセキュリティ

telephonDSCF0152行政・自治No.11 大学構内の1つの建物である学生寮・ゲストハウスの一室に住まわせてもらっていますが、使えるはずの電話がいくらやっても、学内から外へ(市内電話も含めて)かかりません。内線電話のみがつながるのです。
 入室時にいただいた書類を、やおら読み直しました。まず最初に、他人が勝手に電話できないように使用開始のためセキュリティ解除措置として特定個人に配分された4桁の解除番号と♯をプッシュしなければならないと分かりました。もし、他人がこの部屋で外線を使うことを考えて、同一の番号を入れると、もう外線電話ができないようにガードされます。短期間でも席を離れる場合には、このガード措置を執るように指示がしてあります。ただし、警察と消防への緊急電話は、このガードがしてあっても例外的につながると書いてあります。

 外線使用が可能になった状態で、外線電話をするには、公務であれば0発信、私用であれば8で発信となっています。電話利用規則によれば、外線に発信した記録は、発信時刻、通話時間、相手先番号、電話料金が全部記録され講座に通知されます。また、私用電話は、相手先電話番号の最後の2桁を××として記録され、毎月、本人に請求される仕組みです。
 このような電話システムが成り立つには、教員・職員のすべてが個室または特定の電話機を充てられて仕事をしているからです。
 日本でも民間企業ならこのような記録やセキュリティ対策を実行しているところもあるでしょうが、日本の役所関係ではこうしたシステムを知りません。
 かつて、北大勤務時代の初期から中期にかけて、外線電話は所属学部の会計掛に依頼し、会計掛の担当者が本部事務局の交換手に依頼してつながる仕組みでした。あまりに面倒だったのでこのやり方は廃止になりましたが、当時は、私用と公用の区別がありました。仮に勤務時間内でも、私用電話の可能性はあります。家族の病気とか、ただちに公用とは言い切れない電話で、の勤務時間内でしか連絡のとれない知人との間の研究会運営連絡などです。こうした事情を考慮した使用のための仕組み作りが日本では決定的に遅れているのではないでしょうか。それとも勤務時間中の私用電話は、福利厚生サービスの一環と位置づけられているのでしょうか。

 なお、前回のブログで私の勤務先の汚くかつおそまつな教育環境について書きましたが、この点は法科大学院(ロー・スクール)には当てはまりません。このことに関して ご指摘 をいただいています。これまでロー・スクールの講義担当でもなかったし、ロー・スクール校舎に入ることもほとんどないため、まったく無意識でした。誤解を招いたことをお詫びします。

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2005.07.20

行政・自治No.10 大学の教育設備

050719Seminar_E-Go_DSC_0192050719cabel_DSCF0143行政・自治No.10  数回、台湾の司法改革については休みます。おそらく定年まで最後のチャンスということで、ドイツ側の招待をいただいたので2ヶ月と1週間ほど、ドイツに研究滞在をします。18日の夜にドイツの小さな大学町に着いて、まだ40時間経ちません。あれこれの手続が少しずつ片付き、必須のミネラルウォーターのまとめ買いも、大学スタッフに手伝っていただいてできました。洗濯用洗剤や、水質が違うためのボディーソープから何まで、一応、買い出しが必要です。シュパールカッセ(昔風に訳すと貯蓄銀行)での口座開設も終わりました。これから9月中旬過ぎまでドイツよりブログやホームページを更新します。
 昨晩は、着いてから1日も経っていないのですが、受け入れ教授の大学院ゼミに出てきました。ボリビア出身の院生が、美しいパワーポイント画面で電子政府(E-Government)の導入やその長短について説明をし、討論をしていました。インドネシア出身の女性院生は、同地での電子政府導入の困難性について縷々述べていて、興味深いものがあります。幹部・上司の理解がないなどという部分は、日本の事情とあまり違いないじゃないの・・・などと思ったり。
 ちなみに、画像右は、ノートパソコンでパワーポイントが使いやすいように、プロジェクターにつながった15ピンの接続ケーブル端子が机の上に出ているところです。我が勤務先大学では、あと10数年待っても、こういう設備になるかどうか。毎回、プロジェクターを運び、スクリーンを設定し、片付けている大学で、良い教育などできるかいな、と思いながら、聞いていました。私の勤務先の講義室やゼミ室はゴミだらけなのです。ゼミ室・教室の隅には、髪の毛、古紙、ホコリがたまりきっているし、黒板や机、椅子の上は、チョークの粉やほこり、ゴミなどで、スーツの上着も、鞄もおけないほど汚いのですから、この間訪れたアジアの諸大学より、相当、教育環境は遅れをとっています。いろいろなことを羨望の眼差しで見ていました。演習は、19時開始で、21時半に終わりました。
 1988年4月に、この大学で初めて英語を使ったシンポジウムに参加したとき、参加した19カ国からの実務家・研究者のうち、OHP(オーバー・ヘッド・プロジェクター)使わなかったのは私一人だった、という悪夢を思い出します。あの頃は、まだ、OHPの存在すら知らなかった。恥ずかしい思い出ですが、今も、大学の教育設備(日本の場合には、旧・国立大学を想定して)の差は縮まっていないように感じます。この点は、今年の秋の公法学会報告でも、画像付きで紹介するつもりです。

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2005.07.11

弁No.36 台湾の司法改革(その2) カウンターで順番待ちの行政訴訟の相談・出訴

taiwan_countertaiwan_uketsukeki弁No.36 日本では、行政訴訟改革があり、この4月1日から施行されています。40年以上の歳月にわたり、1962年施行の行政事件訴訟法が幅を利かせていました。台湾では、最近は一時期より減って、始審の高等行政法院での行政事件新受件数は、1,0654件(2003年)です。人口が日本の6分の1とうことを考慮すると、2003年では日本の地裁行政訴訟新受事件数は、1,856件ですから、人口比で約34倍ということになります。こうなると行政事件訴訟というものに関する基本的考え方とその実践が、日台ではまったく異なっているという想定ができます。最高行政法院の院長・張登科先生は、行政事件の上告事件が毎年4,000件にもなっており、大変だとおっしゃっていました。

 日台の根本的違いは、まず、

・台湾高等行政法院が、ストーリー型のDVDを中・英・日・独語で作成し(クリック一つで各国語版が始まります)、行政訴訟制度の普及に努めていること

・行政訴訟は、私がドイツの実務として紹介しているように、「ハガキ」の投函でもいいような実務になっていること

・行政事件訴訟の受付・相談窓口は、台湾高等行政裁判所のカウンターが昼休み時間も開いていて(写真、右側)、ほとんど市役所・役場同然であること

・受付のため、郵便局や病院・銀行にあるような番号札発行機があること、エトセトラ

 こうしてみると、司法「制度」改革の日本と、行政訴訟そのものの「司法改革」を進めた台湾との違いが顕著に見えます。日本は、「精神」が、まだ、どっかに行ったままのように私には映るのです。今の日本で、改正行政事件訴訟法に文句を言うと、非国民的な扱いを行政法学界では受けるでしょう。
 でも、いくら考えても、両国でえは、裁判所の姿勢が極端に異なります。また、次回に。

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2005.07.07

弁No.35 日本の法曹のブログ 相次ぐ閉鎖

05taiwan_nantou_kensatsu_1弁No.35 また、日本の法曹が思い切って書いていたブログが閉鎖されたようです。このところ相次ぐ裁判官や検察官のブログ閉鎖、そして現職司法関係者の発言回避は、日本の司法が持つ根深い病理を物語っているようです。言論の自由のない日本社会に悲しみや悔しさが募ります。自由な雰囲気が満ちあふれていた台湾から戻った直後だけに、気分が滅入ること、大きなものがあります。台湾で見てきた司法(裁判)があまりに衝撃的で、書きたいことがありすぎ、何から書いて良いか迷っています。また、日本との関係で本音で書けないことも多々あります。時間を盗みながら、日台比較を続けることにします。
 今日は、台湾で「内からの司法改革」を続けた「行動する裁判官呂太郎(Lu, Tai-Lang)氏が35歳で司法院(憲法裁判所)の裁判官人事の実質的責任者になったたこと、彼は現在45歳で南投地方法院(地方裁判所)の院長(所長)であることを復習しておくだけにとどめます。念願の面談ができました。彼の名刺の職名には、「法官兼院長」とあります。いかに地裁所長であろうと、法官(裁判官)であることが先に書かれているのです。名刺には当然、電子メールIDも書いてあります。この辺りの日本との違いについても追って述べることになるでしょう。南投地方法院自体のホームページは見つかりませんでしたが、それと併設されている感じのする南投司法院検察署は、このリンク先から、「台灣南投地方法院檢察署」をクリックしてみてください。呂氏ご本人の写真はいずれ改めて許可をいただいてからにします。

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2005.07.02

弁No.34 台湾の司法改革(その1)

DSC_0035_klein弁No.34 台湾に来ています。公式招待行事が終わりました。司法院(憲法裁判所)の招待を受けて、司法院大会議室と裁判官の研修所で講演をする機会に恵まれました。日本の司法と比較して、途方もない民主化、透明化が進んでいます。日本が司法「制度」改革をしたのに対して、台湾では「司法改革」をしています。写真は、裁判官の研修所で私の話を聞いている任官後10年以上たった裁判官の皆さんで、業績優秀者に対する4週間の研修の一部に組み込まれました。台湾の司法改革については、順次書き込みます。

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