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2005年8月の記事

2005.08.29

行政・自治No.22 静かな選挙と熱い選挙(その1)

05wahl_in_deutschland行政・自治No.22 今日は、2枚だけ。ドイツの静かな選挙の様子です。といっても、「静かさ」は、画像では示せないので、ポスター選挙とでもいいますか、相当自由勝手に、サイズ、掲載場所もバラバラの各党や小選挙区候補者のポスターです。左下の大きな看板は、今朝、始めてみましたが、右翼の共和党のポスターが張ってあり、公的な看板なのか私製かわかりません。ドイツ国政選挙の法律の勉強はしたことがないので、詳しいことは説明できません。05wahl_speyer_strasse_dscf0328
下の写真は、8月27日土曜日の昼間、シュパイヤー市(人口5万人)の最大の目抜き通りで、各党がパラソルの下で、政策の説明をしているところです。子どもは、風船をもらっています。ボールペンなども「買収用?」においてありますよ。
 いずれにしても静かな選挙ですが、市民が熱く議論をしている場所もあるのです。できれば次回に。
 実は、選挙の実質をよく比較研究してみないと、日本の国政も地方自治も、ひょっとして間違った議会制度をもっているのではないか、ある選挙形式を普遍的と思いこみすぎていないか、ひいては、新しい議会像についての発想貧困を招いているのではないかが、わかりません。これも、スイスの自治と比較して改めてそう感じています。
 各ポスターの分析は結構楽しいですし、候補者の美人度を強調したものもありそうです。虫眼鏡で見てもわからないサイズにしておきました。
 使用しているカメラが複数のため、縦横の比率が一定ではありません。ご勘弁を。

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2005.08.28

8月15日付けの「行政・自治No.16」の写真差し替えました

 行政・自治No.16の左の写真、少し、屋台(露店)の写真が見えにくいので、今日(土曜日)、ほうれん草や生みたての卵などを買いに街まで降りていった際に、再度、写させてもらいました。すべての飲み水まで日々の3食分を買うわけで、すごい重さの荷物になります。老後に車も運転できず、飲料水が水道から出ない街に住むことになるとどうなるか、市民「協働」でやっていけるか、考えさせられます。ただ、こちら地元の人には、ちゃんと一人暮らしでも解決手段があるのですねぇ。聞いてわかりました。今は、私が地元の人間ではないために、自分で買い出しをするしかありません。

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行政・自治No.21 消火栓を考える(2)

schweiz_feuerhahn1_dsc_0386schweiz_ochsedsc_0392行政・自治No.21 まぁ、たいした話ではありませんが、スイスの人口5,000人の町の調査を終えた後、あえてその町のホテルに泊まりました。夕方時間があったので、散歩をしましたが、まあ、農家という農家が美しいこと。1軒のきれいな造りの農家があって、正面から写真を撮ろうとしました。ところが、2階のベランダでは、若夫婦がどこからでも見える角度なのに抱き合っています。こっちが恥ずかしいというか、プライバシー侵害を避けるために、木々が二人を遮るところまで行って、このお宅の写真(右下)を撮った次第です(ちなみに、この話は、今後、なぜ、ドイツやスイスにはラブホテルがないのか、というテーマに発展するかもしれません)。写真で見える部分は、農家特有の設備が写っていて一見汚いようですが、家の正面はペンションを思わせるようなきれいな造りなのです。この町には、50メートルから100メートルおきに、消火栓があります。そんなに火事が多いのか? ともかく不思議でなりません。今でも、未解決です。schweiz_glocke_dsc_0366bauernhaus_dsc_0378
 ただ、迷子になるほど歩いたあと、ある牧草地沿いの道路脇にある消火栓を見ると、牧場の牛の水飲み場消火栓からホースが延びているのです(写真右上)。これは合法なのか、違法行為かは、結局聞けませんでした(牛しかいないのだから)。ただ、道路沿いの消火栓は、家々の側にあって、牧草地側ではありません。知っている方、教えて下さい。
 それにしても、牛が付けている、あのカウベル、たまに短時間聞くのはのどかでいいのですが、付けている本人(本牛)は、1日中、あの音を聞いていて、頭痛やノイローゼはないのかなぁ、と真剣に考えたことでした。私がこの牛だったら、耐えられない。
 この町の自治の仕組みを詳細に役場で聞いて、私は、真の民主主義、自治住民による官僚行政コントロールってこんなものかと衝撃を受けました。これは、また。

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2005.08.27

行政・自治No.20 消火栓を考える(1)

bern_feuerhahn_1723abern_feuerhahn2_1724a行政・自治No.20 まぁ、消火栓もいろいろあって、楽しいですね。おもしろい「縫いぐるみ」風のものは、19年前くらい前に撮ったスイス・ベルン市の消火栓。消火栓であることはわかるのだから、このくらい「遊び」心があってもいいのでは、と考えています。ずいぶん以前から、自治体の研修などでは、このくらいの「遊び心を」と言っているのですが、生真面目な日本の国民風土には「おふざけ」はどうも合わないみたいです。lausanne_feuerhahn_dsc_0415実践例の報告はありません。で、最近のスイスは、いっそうモダンになってきて、デザインがあか(赤)抜けてきた? 3枚目の写真は、ローザンヌ市スイス連邦最高裁判所の近くにて。次回は、消火栓の用途の話です。

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2005.08.26

写真を差し替えました

2005年8月23日付の 弁NO.42 台湾の司法改革(その7)の、元・裁判官の方たちから許可を得ましたので、目隠し部分を取り除きました。

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行政・自治No.19 よその国の災害

bern_hochwasserbern_dsc_0331行政・自治No.19 先日来、スイス、ドイツ南部、オーストリアなどで歴史的な水害がありました。写真左は、著作権法上問題ありの水害状況の写真です。スイスの首都ベルン市の中心部です。沈んでいます。写真右は、2005年8月8日のベルン市内のアーレ川です。スイス都市連盟スイス市町村連盟のそれぞれの事務総長と並んで昼食に向かう途中で、キルフェンフェルト橋という大きな橋から写したもので、とてつもなく美しい街と川でした。ライン川とかドナウ川と言えば、汚水河川というイメージしかありませんが、この辺りは、「美しき青き」川です。アーレ川は、ライン川に合流していきます。
 今、濁流。死者も相当出たのですが、日本は、こういう場合に何か支援をしたのでしょうか?
 両方の写真とも、写っている範囲内に、アインシュタインの生家があります。今は、お菓子屋さんになっていますが、「生家」である旨は、標識でわかるようになっていますし、今年は大規模な展示会というか記念博のような行事が市内で行われています。
 ちなみに、インターネットの検索で「アーレ川」と入れると、たくさんの写真を見ることができます。この川の源は、あの有名な山、ユングフラウヨッホ。いずれ、スイスの自治について触れなければなりません。

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2005.08.25

行政・自治No.18 あのときの選挙

OhsakaWahlWagenOhsakaTousen行政・自治No.18 台湾の司法改革についてはちょっとお休みし、また、ドイツで、選挙が行われているとはまったく気づかないような静かな成熟した選挙については後のこととして、少しだけ昔話をします。今回のドイツの選挙ポスターの写真などは別掲に。後記の和独辞典では、ドイツ語に「選挙カー」というのはないのですが、実際にも1台も見たことはありません。

 逢坂誠二町長の衆議院選 「出馬」 が決まったようです。
 (参考までに、和独辞典をみたら選挙の「出馬」という言葉は当然になく、「選挙に進む(zur Wahl schreiten)」もドイツ語としては良くなく、「選挙を始める(die Wahl beginnen)が良い」、とあります。さもありなん。日本の選挙用語は全部、戦争用語だから。<選挙戦>、<出馬>、<出陣式>、<下馬評>、<勝ち馬に乗る>。戦争と民主主義は矛盾すると思うのだけれど)

 比例区の第1位候補ですから、勝利宣言だの当選の万歳やら、<薄氷を踏む思い>は今回はないはずですが、最初の町長選は大変でした。
 写真左は、弱冠35歳にして、錆の効いた(?)トラックで町内の「遊説」を始める第一歩。最初の町長選の「出陣」?のスピーチです。写真右は、開票場の体育館から「当確」第1報のサインを出す予定の某さんが、サインを出すのを忘れてしまっていて、本当の当確が計算できた時点よりしばらく後に、待ちに待った当確の第1報が選挙事務所に入ってきた瞬間です。カメラもぶれていますが、このとき当選するハズのない逢坂事務所には、新聞記者もテレビカメラマンも来ていませんでした。続きの希望があれば、近所のお寺での深夜の祝賀会の写真などでも回顧談として載せますが。この祝賀会に、当選したとわかってから、<勝ち馬>に乗る人がやってきます。

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2005.08.24

臨時・逢坂町長出馬?道新・ニュース速報

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北海道新聞速報に「民主、逢坂氏に出馬要請 比例単独1位候補に 一両日中に判断」(2005/08/24 15:57)という記事が載っています。逢坂氏は、この9月21日(水)にドイツのシンポジウムで全体を締めくくる学術報告をすることになっており、もし、衆議院議員に当選されらどうなるだろうと、とりあえずは、もっぱら自分の関心事から心配です。
 シンポジウム会場は、シュパイヤー行政大学院のザール(ホール)です。大体、これと同一の雰囲気で今回も行われることになっています(1999年撮影。写真左)。写真右は、東西ドイツ再統一後の1990年にコール首相(当時・現職)がこのホールで演説をしている様子です。

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弁No.43 台湾の司法改革(その8)

taiwan_j_yuan_president_dsc_0069taiwan_vfg_saal_dsc_0089弁No.43 今、日本では、人事院勧告による公務員給与引き下げとの関係で、裁判官の給与引き下げが憲法違反になるかどうかも含めて、議論がなされています。
 日本の裁判官の定期的人事異動、昇級差別問題、東京中心勤務と地方勤務の問題などは、台湾での講演原稿に書いていたのですが、台湾の(とりわけ若い40歳以下の)裁判官には何のことか理解できないので、避けた方がいい、と指摘され、実際にも全面的に削除しました。裁判官の給与の段階は、日本に比べてかなり少なく、また、高等法院(高裁)判事くらいになると、まず転勤はないそうです。裁判官給与は、院長(所長)であろうが、一裁判官であろうが、地方法院レベルでは、一定の勤務年齢では同一だそうです。この辺りの詳しい給与表などは別途調査する必要があります。メモ類を日本に置いてきたので、今はこの程度しか書けません。
 いずれにしても、ほぼ全裁判官の定期的いっせい異動については、理解を超える、ということのようでした。
 裁判官の給与の同額制については、イタリアの裁判官制度を思い起こさせます。参考文献として、日本の事情をよくご存知で、ヨーロッパ裁判官組合の執行委員長も務めたことのあるドイツの裁判官に執筆していただいた、ハインツ・シュテッツェル(著)/木佐茂男(訳)「ヨーロッパ諸国の司法システムにおける自治 ― イタリアにおける裁判官独立のプロセス」『月刊司法改革』10号(現代人文社、2000年)45~50頁、ハインツ・シュテッツェル著/木佐茂男・中村英樹訳「ヨーロッパ諸国における裁判官独立の新展開」『月刊司法改革』21号(2001年)90~94頁、をご覧下さい。
 写真は、翁院長の院長室(左)と台湾の憲法裁判所法廷(右)です。

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2005.08.23

弁No.42 台湾の司法改革(その7)

richterin_ad_dsc_0114弁No.42 司法院院長主催の晩餐会において、裁判官が定年前に辞職するケースとしてどのような場合があるのかが話題になりました。
 日本では、「ずっと裁判官を辞めたかった」と述べて定年前に退職した裁判官や、任地差別で辞めざるを得なかった裁判官、あるいは、環境問題に積極的に取り組むためにも辞職した裁判官がいることなどが話題になったあと、台湾では、という話になり、「ある裁判官は、環境問題に現場で対応するために、辞職して、国立の自然環境保護地区(太魯閣(たろこ)国家公園)の現場の担当者になった」、すなわち、法曹資格を放棄して、自然環境保全の活動をしている人のことが何人の大法官(憲法裁判所判事)らから言及されました。
 その翌日、数百キロ離れた花蓮という台湾東部海岸の市にエクスカーションで出かけ、夕暮れも近づいて、環境保護地区のビジターセンター事務所に最後の挨拶に行ったら、なんと、その辞職した裁判官の方が、まったく偶然のタイミングでいらっしゃいました。それまでの話の中身から、てっきり男性だと思っていたのですが、女性の方でした。そして、彼女は、今後、公務員身分をもっての自然保護活動は辞め、ボランティアでやっていきたい、と仰っていました。自分が食べていけるだけの収入があればいい、と。若い世代の職業裁判官からボランティア活動家への転身は、日本ではまだ考えられないことだと思います。写真左が、その方で、右側のかがんでいる女性は、太魯閣国家公園自然保護区を案内していただいた同僚の方(職名は、書記)す。(お二人の許可を得ましたので、目隠し部分を取り除きました)
 台湾の裁判官数は、うろ覚えですが、人口比で、日本の3倍くらいです。日本でも、裁判官や弁護士がもっと増えると、こういう生き方をする人が出てくるのではないでしょうか。

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2005.08.22

弁No.41 台湾の司法改革(その6)

taiwan_kouen_dsc_0083TaiwanVfGerE弁No.41 さて、開かれた裁判所を象徴すると思ったのは、台湾のこの司法院(憲法裁判所)での講演のときでした。院長(長官)がフランクに司会者を兼ねて、さらに、講演会開催の連絡が行った範囲においてですが、裁判所内の大法官(憲法裁判所判事)、調査員、職員だれが出席してもいいのです。事前に知らされていたよりもはるかに多くの方が聞いてくださいました。講演の後、院長がご自身の言葉で司法改革を継続することの重要性をかなりの時間にわたってお話になってから散会となりました。
 日本の最高裁の会議室なり講堂で、こうした外国のゲストを迎えての講演は、どのくらいあるのでしょうね。そこに、最高裁庁舎内の職員などさまざまの職種の人が、最高裁判事といっしょに、お菓子を目の前にして、リラックスして聞ける雰囲気はあるのでしょうか。
 実は、院長副院長も、行政法が専攻の大学教授出身です。お二人とも、ドイツ、オーストリア、アメリカ、日本などで留学をし、長い専門的で、かつ、国際的な経験をお持ちですから、世界中に知人である大学教授や裁判官がいます。諸外国からのゲストによる講演も、かなりの頻度で、この憲法裁判所で開催されているのです。この国際的人間関係が、台湾の憲法訴訟や行政訴訟を世界的水準に引き上げるのです。台湾憲法裁判所が下した重要な憲法判決は、英文に翻訳されています。私は、いままで第1巻から第3巻までいただいていたのですが、今回、新たに第4巻と第5巻をいただきました。写真は、第3巻までが写っています。
 わが国の最高裁判例は、公式に英文にまとめられているのでしょうか? 私は、残念ながら、知らないのですが。

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2005.08.21

行政・自治No.17 お祭り用の水道設備

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行政・自治No.17 15日(月)から20(土)まで、パソコン生活18年間で初めて6日間も電子メールの送受信ができない環境にいました。最近は、そこそこのドイツのホテルでも、無線LANが使えるようになりつつあります。今回は、ミュンヘンとベルリンという最大規模の都会で5泊していたのですが、私の泊まったところは、モジュラージャックも、電話線も、無線LAN環境もありませんでした。正確に言うと1箇所ではモジュラージャックにつなぎましたが、過電流でモデムチェッカーが赤サイン。ダメでした。2箇所の行政機関では、もしや、ということで自分のPCを面談相手の許可と技術スタッフの協力を得て庁内のLANにつなげてみたのですが、やはりセキュリティの関係からつながりませんでした。ドイツのホテルのどの程度かは分かりませんが、 Swisscom Eurospot という無線LANが使えます。この Swisscom は、スイス全土の公衆電話網と同じ名称ですので、Swisscom Eurospot は、多分日本のNTTの子会社的なものに当たると思うのですが、今や、世界展開をしているようです。昨年はこれをドイツで1週間契約で利用しましたが、結構、高いです。この Swisscom Eurospot は、オーストリア、ベルギー、フランス、ハンガリー、イタリア、オランダ、スペイン、イギリスでも使われているようです。それにしても、なぜ、スイスの電話公社なのか。この辺りのことは、素人ですから、よくわかりません。いや、ちょっと調べた のですが、ヨーロッパでも動きが急なので、即断はできません。
 携帯電話はいつでも日本に、また、日本からつながりますが、今どきの電子メールにはたくさんのPDFファイルや各種ファイルが添付されていますから、携帯電話をパソコンにつなげて日本に電話して、というのはコスト面からちょっと・・・・。
 というわけで、6日以上経っての更新です。
 私がいる市は、15日は結局、祝日ではありませんでした。掃除のおばさんは、どの州とどの州では休日だ、とご存知でした。
 さて、お祭りの際に気づいたことの2つ目です。写真でご覧のように、街の中に700メートルもの臨時レストランを設置すると、膨大な水が要ります。なんと、道路の地下から、各臨時店舗に配水できるように、もともと配水設備が埋め込んである のですね。床を開けると、電源プラグやLANケーブルを接続できるようにしてある、それと同じです。非衛生的なタンクに入れた水で調理、ということはなくなるわけです。福岡の屋台には参考になりそうなテーマです。ちなみに、左の写真の奥に見える建物、1階は多数の用品店などが入っていますが、2階には、この市の法務部が入っています。市役所本庁は、写真を写している場所より手前にあります。距離にすれば100メートル強、離れているといえるでしょうか。
 今日は、ベルリンで、大規模な蚤の市(フローマルクト)を見てきましたが、きれいなトイレが用意してありました。計画的ですね。その話は、また。それにしても、台湾の司法改革に早く一区切りつけなければ。

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2005.08.15

行政・自治No.16 露店や屋台を仕切る人

050827koenigsplatz_frau_dscf0326markt_frau_2_dsc_0472行政・自治No.16 日本の場合、最近では自治体の機関自体できちんと仕切っている日曜市や露店などがありますが、歴史的には、いろいろな「事実上の公共機関」の方々が、ショバ代を取って、市場・夜店の平穏な管理を行ってきました。
 今日、入手した超ローカル新聞によれば、昨日来の路上レストランは、18の本業をレストランとする方々による700メートルに及ぶ「皇帝(カイザー)食卓」だそうです。
 さて、これは、8月13日(土曜日)の、土曜にだけ立つ朝市の一角で、5万人の市の王様広場(ケーニスプラッツ)の一角です。このおばさんは、自家製の野菜と花をほんのちょっとだけ並べています。土曜市ごとに、事前に、2.05ユーロ(約283円)の使用料を市のマルクト・マイスターに支払っているそうで、その許可証兼領収書が写真に写っています。年間を通して出店しているもっと規模の大きな八百屋、香辛料の店、パン屋などの使用料はもっと高いということでしたが、額を聞く余裕はありませんでした。卵屋さんは、鶏の種類を絵に描いて売っていました。とてもおもしろいのですが、しつこいので写真は控えましょう。
 他方で、前回の3日間連続の道路占用については、ある小さめの飲食店のおやじさんは、「3日分で2,800ユーロ(38万6千円)を市に納めるが、高いよ」、と言っていました。確かに、店の設備も規模も違います。その一端を次回に写真でお見せします。小さなテントとは言え、数名が働いていたので、店の規模からすると心配な額です。レストランの配置や金額を決めるのは、市の特別の委員会だそうです。
 それでも、使用料は別として、こわいお兄さんたちが仕切っていないだけ健全のように見えます。

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2005.08.14

行政・自治No.15 自治体ごとに違う祝祭日

FestHausStrasseDSC_0477fest_strasse_dsc_0480行政・自治No.15 8月15日(月)は、聖母マリアの被昇天の日バイエルン州では、カトリック系住民の多い市町村では休日。ザールラント州は州全体がに休日。その他の州は休みではないようです。バイエルン州などは、同じ日なのに、旅行先では休日だったりします。スイスでも26の州のうち、休日の日数は6日も違うそうです。カトリック系住民の多い州では、休日が多いのです。私が今いるラインラント=プァルツ州は、休日ではないはずです。
 そういう例もあるのですから、北海道などは、あの肌寒い4月末から5月始めの「ゴールデンウィーク」を6月にすればいいのですが。まさに、「特区」として。サマータイム並みか、それ以上に意味があるような気もします。
FestTischDSC_0485spiel_dsc_0491 さて、今日から、私の住んでいる町でも3日間は、普段はバスとタクシーだけが通る大通りも、完全に道路全体がレストランとなって、フェスト(祭り)となります。路上のにわかレストランのテーブルにも、装飾用のカボチャや花をきれいにおいて、やはり日本の露店とは違った雰囲気があります。いささか古色蒼然とした遊具も数台あって、こどもたちが喜んで乗っています。
 偶然、買い物のために大学から降りてきて祭りにぶつかったのですが、そこで知った(少なくとも、自分にとってはおもしろい)話を次に2度にわたって書きます。

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2005.08.13

弁No.40 台湾の司法改革(その5)

TaiwanBlatt 弁No.40 台湾の司法改革は、日本よりも早く始まりました。独裁政権が民主化闘争の中で倒されてから10年以上過ぎていっそう本格的になったのです。日本で司法改革の議論が国会で論議され始めた頃、台湾では、すでに具体的プログラムができていました。今も、司法院(憲法裁判所)自身によって、積極的に司法改革の機運が途絶えないように、積極的な施策が行われています。日本で、司法制度改革審議会設置法が制定されたのは1999年6月2日でした。写真は、それに3か月ほど先立つ同年3月に、台湾の司法院、すなわち憲法裁判所の院長(長官)である翁岳生氏の名前で刊行された司法改革プログラムの書です。全文で約80ページあったと思います。この内容を、同年5月18日に参議院法務委員会に参考人として呼ばれた際に、日本語訳したより詳細な資料を配布して台湾での改革内容について説明しました。下の写真は、参考人発言の際に使用した資料のうち、もっとも重要な目次の部分と、終章の細目次であり、朱字にしている部分は、私が、より重要と判断した項目です。日本の最高裁長官が、このような改革プログラムを発表すれば、皆、目を丸くするでしょう。文字が小さくなっていますが、是非、注意して読んで、日本と比較していただきたいと思います。少しでも字が大きく見えるように、今日のブログでは、写真スペースを大きくしています。中村敦夫氏や福島瑞穂氏などから、当日の参考人の中ではもっとも多くの質問をいただいたのですが、当然のことながら、台湾の「司法改革」は、日本の「司法制度改革」の中では、まったく話題にならなかったし、影響をもたなかったのです。一つには、正式な国交がない、ということもあるのでしょうが。
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2005.08.12

行政・自治No.14 研究助手に80名の応募者

BiblilTischDSCF0148行政・自治No.14 私がお世話になっている講座の教授には2名の秘書がいます。もう10数年のおつきあいです。そして、研究助手がいます。まだ着任後1年半くらいだそうですが、応募して、採用されるまで、この大学とは何の関係もなかったそうです。公募に対して、80名が応募。採用されたご本人は、「私は運が良かった」と言っていますが、やはり相当の力量の持主でしょう。ドイツにおける公募主義の一端を見る思いです。行政の幹部も、皆こういう形で応募して採用されます。もう15年来、調査をしてきていますが、大体、公務員や各種機関の幹部の公募には、20倍から100倍の応募者がありますね。突然の「出向」などや、「不慣れなポストに昇進しまして」と言ったことは許されない社会です。
 図書室で自習をしている学生の机です。このくらいコンメンタールや法令集を並べて勉強をしている学生は、日本にどのくらいいるでしょうね。これまでの司法試験の受験者やロー・スクール生なら当然のことでしょうが。

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2005.08.11

行政・自治No.13 追悼の季節

uenomurajh_pb210018kurosawa_pb210020行政・自治No.13 2005年夏。8月12日。あれからちょうど20年です。初めてドイツ留学をしたのが1985年の6月末。ミュンヘンで語学学校に通っている最中に、日航機の墜落事故の報が入りました。520人もの犠牲者が出ましたが、当時、ドイツ人の中には、日本人は身体が小さいから飛行機にあれほど詰め込めるんだ、と言っている人もいました。確かに、当時も今も、ドイツの国内線に400人も500人も乗るジャンボ機は飛んでいないはずで、普通の市民にジャンボ機自体がイメージできないのはやむを得ないでしょう。どんな大事故が起きても、ドイツの新聞は、日本の新聞のように何面も使って集中豪雨的な報道をしません。その代わり、時間が経ってから冷静な検証記事を載せることがあります。御巣鷹山での被害者捜索に自衛隊がどの程度出動したのか、私自身の記憶は正確ではないのですが、南ドイツ新聞のあの有名な日本特派員であるヒールシャー記者は、自衛隊が夜間の捜索をしなかった理由として、自衛隊は夜間に空から照明をする照明弾(正確な表現ではないです。軍事用語を知りません)を持っていないからだ、ということついて、何のための「自衛」隊かと、痛烈に皮肉った1ページ全体を使った長大な記事を書いていました。ちょうど20年経った今年、私はたまたまドイツで夏を越しています。この事故には、肉親や親戚、知人・友人が関係しているわけではないですが、何か因縁を感じます。昨年の秋、多くの方の遺体が仮安置されたあの御巣鷹山のふもとの上野中学校(群馬県上野村)で市町村合併関係の講演をする機会があったこと、今年の春に、あの事故の生存者である川上さんが生まれた自治体と私の生まれた自治体は、合併で同一の自治体になったことなど、あの事故が、いつ起きたのか、忘れることのできないものとなっています。写真は、昨年の秋に撮った上野村のその中学校体育館です。この墜落事件については、非常に多くの書籍が刊行されていることを、つい今、知りました。上野村の自治についても、黒沢建夫村長ご自身のことを含めて、学ぶ必要があります。黒沢村長(2004年11月撮影)は、この2005年6月13日に、10期40年という全国最長の任期を務めて91歳で退任されたようです。
 アフリカやアラブの天気予報まで流れるものの、日本のニュースはめったにドイツのラジオで聞くことはありませんが、8月6日は、広島原爆追悼の模様が、60周年という節目を強調しつつコイズミ首相の名とともに、繰り返し放送されていました。追悼の季節です。

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2005.08.06

弁No.39 台湾の司法改革(その4)

bm_auto_dsc_0045JusticeYuanEingangDSC_0056弁No.39 弁No.38 で、自動車の所属先明示を裁判所の透明性確保の関連で述べましたが、裁判所の車であることを明示したらテロの標的になるようなものであり、「開かれた裁判所」とは別次元の話しであるというご意見もいただきました。確かに、その問題はあります。ドイツでも、連邦通常裁判所のテロ関係を審理する専門部の裁判官名は公開されていないと15年ほど前には聞いたことがあります。ただ、昨年の秋に、ベルリンで連邦内務省の車でずっとお世話いただいた時にも、空港では連邦内務省の指定駐車場に、連邦内務省公用車であることを明示した自動車を止めていました(写真左)。最近では、、ドイツでもテロ対策で、高官の利用する車などはナンバープレートを一般車と同じようにする動きもあるようです。
 台湾の場合、憲法裁判所(写真右)の入り口も憲兵が1人いるだけで、この写真には、警備関係者は写っていません。憲法裁判所の中でも長官室の入り口前に1人が警備にいただけで、日本の最高裁とは異なるどころか、そもそも5権分立の各機関が集中している都心にも、日本の永田町や霞ヶ関のような厳重な警備はまったくありません。そもそも帰国時には委託荷物であるトランクのX線検査もなかったです。これがいいことかどうかは別として、日本の永田町や霞ヶ関ほどきびしい警戒態勢の国は、いわゆる先進国の中で見たことがありません。それほど、不安定な国なのかもしれません。判事補以上の全裁判官が定員ベースで2,525人(2005年度。裁判所職員定員法1条)で、成田空港だけ を警備する警察官定員1,994人(警察法施行令・付則23以下 千葉県警察に関する特例)と大差ないことには、驚きます。テロ対策強国なのですね。
 以上の警備のハナシは、まだ、司法改革のことと確かにあまり関係がないかもしれませんが、「」による支配と「」による支配の対比の素材にするのは、無理でしょうか。続きは、また。

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2005.08.04

キャンパスの中の野ウサギ

speyer_hasendsc_0225 ほとんどの学生たちがいったん退寮した後、学生寮は司法修習生(Referendar)や特別の事情で勉強を続けている学生などが少数滞在しています。ある人は、瓶詰めのキュウリの酢漬けとパンだけで夕食。その翌日は、スパゲッティを茹でて、市販のソースをかけただけの夕食。別のアジア人博士課程の人(国名も年数も分かっていますが、特定できてしまいます)は、数年来、故国に帰っていないのですが、寮の外から料理のために寮の調理場に来ていました。まな板などもまともなものはないので、左手の上に肉をおいて包丁でスライスして、ただ焼いて食べていました。胡椒もなかったのでは。
 学生がいなくて静かになった反面、工事が始まりました。昨日は、シャワーを浴びたら、赤茶色の水だけが出てきます。何分経ってもきれいになりません。温水配管の工事があったのです。そういえば、朝から工事の騒音がしていました。今日も、この時間もトンカチの音がしています(15時。日本では22時)。今夜も冷たい赤いシャワーなのか・・・
 静かになったキャンパスには、野ウサギが出てきました。とりあえず、自室から撮った写真では1つがいだけです。かつては、ここにたくさんいました。7月28日付けの「行政・自治No.12」の左の写真には、実は、野ウサギが5羽くらい写っています。もう、絶滅したのか、と思っていましたが、ちゃんと残っていました。このキャンパスの周囲は緑しかありません。キャンパスから徒歩で2~3分ほどの木立・雑草地では、今朝ほど、数え切れない数の野ウサギが遊んでいました。
 ともかく、数え切れない種類の実のなる木があって、鳥も多いです。すべての種類の木の実を写すつもりでかなりの種類をカメラに収めましたが、あまりに多いので、もう諦めました。こうした環境であれば、日本のようにイノシシ、鹿などが山里に降りてくるような事態にはならないでしょうね。

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2005.08.03

臨時のお知らせ―50時間後に反映されました(補遺あり)

 8月2日に、ホームページに少し手を入れいましたが、トップページがやっと20時間後に変更され、そこからリンクさせた業績欄は、いくら更新作業を繰り返しても今もって反映されません。しばらくお待ち下さい。これまで、こういうことは1度もなく、変更作業結果はただちにホームページに載ったのですが、原因が分かりません。ブログは独立していますので、こちらでお知らせします。ホームページを見る方の大体、2倍程度の方が、毎日、ブログ欄を巡回されているようですね。逆にいうと、ブログ的コメントをホームページ上で行っておれば、アクセス・カウンターは2倍のペースで増えていくはずです。
補遺>私のパソコンでは、なんと、50時間もたった日本時間8月4日16時頃に、業績→「小論など」が更新されました。私には、訳が分かりません。

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2005.08.02

弁No.38 台湾の司法改革(その3)

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弁No.38 情報公開や透明化というのは、やはり形も大事です。日本の裁判所には自動車もたくさんあるのですが、「最高裁判所」とか「○○地方裁判所」とドアに書いたり、フロントガラスに貼り付けたりした黒塗りの車やその他の裁判所所属の車を見たことは、私はありません。台北空港で降りて真っ先に驚いたのは、トランクをいれるためわざわざ迎えに来て下さった大型車のドアです。裁判官も用事があれば乗り合うという公用車です(写真右)。はっきりと「司法院」と書いてあります。また、全5日間お世話になった普通乗用車である公用車も運転席のガラスに、誰にもわかるように大きな文字で書いた「司法院」のシールが貼ってあります(写真左)。さらに、花蓮という飛行機で30分ほどの東海岸の都市で乗せてもらった台北高等法院花蓮分院の公用車にも、両ドアにはっきり、「台北高等法院花蓮分院」と書いてありました(写真下)。これが司法改革の成果なのか、以前よりそうだったのかは聞く機会を失いました。いずれにせよ、裁判官や裁判所の車が何に使われているか、説明責任を全うできるから、あるいは、全うできるように、公開しているのでしょう。日本の公用車から全面的に 「た」ナンバー が廃止されて、おそらく30年か35年経つでしょうか。そのため、公用車はどのように使われるようになったのか。この話は、また後にしましょう。

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