行政・自治No.13 追悼の季節
行政・自治No.13 2005年夏。8月12日。あれからちょうど20年です。初めてドイツ留学をしたのが1985年の6月末。ミュンヘンで語学学校に通っている最中に、日航機の墜落事故の報が入りました。520人もの犠牲者が出ましたが、当時、ドイツ人の中には、日本人は身体が小さいから飛行機にあれほど詰め込めるんだ、と言っている人もいました。確かに、当時も今も、ドイツの国内線に400人も500人も乗るジャンボ機は飛んでいないはずで、普通の市民にジャンボ機自体がイメージできないのはやむを得ないでしょう。どんな大事故が起きても、ドイツの新聞は、日本の新聞のように何面も使って集中豪雨的な報道をしません。その代わり、時間が経ってから冷静な検証記事を載せることがあります。御巣鷹山での被害者捜索に自衛隊がどの程度出動したのか、私自身の記憶は正確ではないのですが、南ドイツ新聞のあの有名な日本特派員であるヒールシャー記者は、自衛隊が夜間の捜索をしなかった理由として、自衛隊は夜間に空から照明をする照明弾(正確な表現ではないです。軍事用語を知りません)を持っていないからだ、ということついて、何のための「自衛」隊かと、痛烈に皮肉った1ページ全体を使った長大な記事を書いていました。ちょうど20年経った今年、私はたまたまドイツで夏を越しています。この事故には、肉親や親戚、知人・友人が関係しているわけではないですが、何か因縁を感じます。昨年の秋、多くの方の遺体が仮安置されたあの御巣鷹山のふもとの上野中学校(群馬県上野村)で市町村合併関係の講演をする機会があったこと、今年の春に、あの事故の生存者である川上さんが生まれた自治体と私の生まれた自治体は、合併で同一の自治体になったことなど、あの事故が、いつ起きたのか、忘れることのできないものとなっています。写真は、昨年の秋に撮った上野村のその中学校体育館です。この墜落事件については、非常に多くの書籍が刊行されていることを、つい今、知りました。上野村の自治についても、黒沢建夫村長ご自身のことを含めて、学ぶ必要があります。黒沢村長(2004年11月撮影)は、この2005年6月13日に、10期40年という全国最長の任期を務めて91歳で退任されたようです。
アフリカやアラブの天気予報まで流れるものの、日本のニュースはめったにドイツのラジオで聞くことはありませんが、8月6日は、広島原爆追悼の模様が、60周年という節目を強調しつつコイズミ首相の名とともに、繰り返し放送されていました。追悼の季節です。
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