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2005年9月の記事

2005.09.30

行政・自治No.33 大学教職員の給与水準

行政・自治No.33 今日9月30日の午前に、最高裁は、最高裁裁判官会議で、人事院勧告の受入れを決めたそうですね。最高裁と下級裁判所を問わず、「裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない」(憲法79条6項、80条2項)。今回の「受入れ」は、少なくとも表面的には、これらの条文と正面衝突と思われますが、いかに合憲と説明されるのでしょうか。
 さて、昨日(9月29日)付で配信された教職員組合資料を見ましょう。以下、本学とは、九州大学のことです。

 ―― 引用 (太字は、引用者による)――
4.本学教職員の給与水準は低い
法人の給与を決定する場合に「社会一般の情勢」に配慮するというであれば、法人職員と国家公務員との比較(ラスパイレス指数)を考慮するのが誠実な対応というものであろう。文科省の資料によると、本学職員の給与水準は、ラスパイレス指数で国家公務員を100とした場合、88.6であり11.4ポイントも低い。教員の給与水準についても、国立大学の給与水準は都市部の私立大学と比べて大きな格差(月給で約10万円)があることが指摘されており、こうした格差が国立大学において優秀な教員の人材確保を困難にしている。「社会一般の情勢に適合したもの」であるならば、こうした格差を是正することこそが良識ある法人経営であろう。本学で働く教職員の給与の引き下げは、国家公務員の身分を失った教職員の士気の低下を招き、結果として、九州大学の発展にとってマイナスとなることを指摘せざるを得ない。
 ―― 引用、おわり ――

 教員の給与の差が約10万円というけれど、これは全世代の平均値でしょうね。私どもの世代であれば、15万~20万円の差より大きいでしょうか。ただし、教育の負担は、一般的に言えば、私学に比べて、旧・国立大学の方が少ないのはほぼ間違いありません。しかし、これも一概には言えず、大学により事情は異なります。

 このところ毎年、法学部で行われる大学院進学説明会で必死に「大学研究者」の魅力を説明しているのですが、私の周辺の学生は、誰も受験してくれません。一度「入院」したら、まず、7年~10年間程度は、給料はないですからねぇ。うまく就職できても、同一世代の人と同じ額をやっともらえるだけだから、生涯賃金では回復するはずがない。今や、奨学金も当たらない時代になっていますから、「貧者には院進学は無理」と判断されても仕方がないでしょう。私自身、生活は苦しかったけれど、院生時代、大学には何も納めた記憶がないですし、奨学金は教職についたからチャラ。まだ、大学院に行ける時代でした。いまや、裕福でないと、本もパソコンも買えません。そもそも大学教員が「社会構成」を反映しなくなると、社会科学としては危機的な状況を迎えそうです。そして、何よりも、私たちの世代が大量に退職する時期には膨大な数の研究者欠員が出ます。果たして、どうして充足するのでしょうか。

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2005.09.29

行政・自治No.32 理論と実践を伴った政治家に

行政・自治No.32 日本に帰ってきています。しかし、ただちに、連日14時間勤務。ブログ更新もままなりません。
  
 さて、札幌自治体法務研究会の生みの親で、元・恵庭市職員、そして市議トップ当選を果たした中島興世氏が、恵庭市長選に立候補することになりました。立候補の決意表明文は、ワードファイルでいただいていますが、今は、とりあえず、彼のホームページの紹介にとどめます。本日付で、同氏のブログも開設されました。私の研究活動に与えていただいた影響ははかりしれません。
 本ホームページでは、札幌地方自治法研究会を紹介した『カムイミンタラ』にも登場されています。この研究会の生みの親の2名のうち、1名は、九大助教授に、1名は市長選にと、激動の時代になりました。

 中島さんは、逢坂さんが有名になるまでは、おそらく北海道内の自治体職員でもっとも全国に知られた方であったと言って間違いないでしょう。国立大学法人になって私も政治活動の自由が多少保障されました。彼の当選を願っていることを率直に述べてもいいでしょう。モノを考えている方が、一人でも多くより広い政治の世界に登場することを期待したいと思います。

 中島興世氏、恵庭市役所まちづくり研究会などについては、今日9月29日付の田中孝男氏のブログもご参照下さい。

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2005.09.24

行政・自治No.31 障害者の一人旅

behinderter_zug1_dscf0307behinderterhilfe_hannover行政・自治No.31 今夜は、2万件目のアクセスがありました。ありがとうございます。2004年10月6日が正式公開でしたから、まる1年に満たない間に、これだけ多くのアクセスをいただきました。この間、相対的に見て、学部学生やロー・スクール学生のアクセスは、ほんのわずかであったと思われますので、圧倒的多数は、自治体職員の方々、そして研究者業界のごく一部、法曹界のごく一部、ゼミ生や院生の一部の方々に見ていただきました。そして親族・親戚もわずかに(?)見ていたでしょうか。
 パソコン環境が良くなり、アジア各国からも見ていただいていることが分かっていて、それなりに書く内容にも留意事項が多くなりました。
 どのような年齢・職業・地域の方々に向けて書くべきか、悩むことも多くなりました
 中身がどれほど伴うか、時間が確保できるかが難題ですが、少しずつ、旧稿の掲載も増やすよう準備中です(つまり、出版社と交渉中です)。
 写真掲載による容量オーバーも心配です。ブログも、古いものは少しずつ削除しております。
 さて、今日はドイツからの送信の最後の夜です。2か月と1週間もあっという間でした。
05aug_2behindertenhilfebehinderterhilfe_schweiz

 写真は、ドイツやスイスの鉄道で、障害者の方が一人で旅行をするときの鉄道乗車風景です。事前に電話連絡をしておくと、どの駅にもある簡単なリフトで、女性の車掌さんでも、1分ほどで車イスの乗客を車両に乗せてくれます。上の2枚の写真、ともに女性の車掌が操作しています。下の左は、駅に常備してある物。下の右は、ローカル色のある服でおわかりのように、スイスの鉄道です。日本では、どうなっていますか。以前にも本に書いたような記憶がありますが、ドイツの郊外の停留所で両手とも手首から先を失った若いお母さんが赤ちゃんをだっこして車イスに乗り、バスで街に買い物に行く場面に出くわしました。リフトはないですから、運転手が降りて、他の乗客とともに手伝います。さすがに、その場面を撮るのは躊躇しましたので、画像はありませんが、20年前の記憶、今も鮮やかです。

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2005.09.23

行政・自治No.30 法治国家のビール・ジョッキとワイン・グラス ― 閑話休題

050922glas_dsc_1193行政・自治No.30 ドイツのどんな小さな町に行っても、たいていは中華料理店があります。私が入っていくと、とたんにBGMの音が小さくなるか、消されます。ドイツ料理のレストランでBGMがかかっていることはまずありません。若者が入る盛り場の居酒屋などはうるさい音楽で満ちていますが。
 なぜ、音量が急に減るのか。ある町の中華レストランでは、「北国の春」が流れていました。今夜、さきほど行ったばかりのレストランでは、喜納昌吉 ― すべての人の心に花を」がかかっている最中でした。要するに、日本製音楽の、歌唱を除いた器楽演奏の部分だけがCDにされているのです。日本人とわかると、バツが悪そうに、「対応」がなされるのです。
 今日は、お店の人も暇そうだったので、「対話」をしました。このレストラン、大学から歩いて7分くらいのところで、最近、新装開店したようです。2か月の滞在の最後を締めくくって?、初めて行きました。タクシーの運転手は、「あれはつぶれた店だ」と8月中旬に言っていましたが、このところ再開したようなのです。
 で、お店の従業員は、中国の歌だ、と言い張るので、これは「沖縄の・・・」と説明したところ、素直に白状。中国で買ってきたCDだと。
 よって、ドイツ人の方には、次第にアジアの歌が、国籍不明のままほぼ共通のものとして伝わっていきます。
 先日、ドイツの公共放送ラジオを聞いていたら、日本の音楽としての紹介があって流れ始めた歌は、どう聞いても中国のものでした。
 さて、ドイツ料理レストランでは、ありえないのですが、ギリシャ系の店では支払いが終わると2ccほどのシュナップス(Schnaps。アルコール度の高い蒸留酒。ただし、消化を助ける薬用酒のようです)が出てきますが、今日は、支払い後、2ccの梅酒が出てきました。これも、日本の梅酒と似ている、と思ったので聞いてみたら、正直に瓶を持ってきて、「チョーヤ」の梅酒であることが判明しました・・・(^_-)
 それにしても、ドイツのジョッキやグラスにはたいていは、0.4リットル、0.5リットル、2ccというように線が入っています。写真の両端のグラスに、赤い2ccのラインが見えますでしょうか。左は、チップを払って東ベルリンの旧・東ドイツ警察官養成学校(今はドイツの連邦内務省の研修施設にヒアリングのために行った)の近所のギリシャ・レストランでもらったももの、右は、今日の中華レストランでチップをおまけして堂々ともらったもの。法学教師・弁護士が窃盗罪を犯すわけにはいきません。
 でも、この2か月間の自炊で、大韓航空機から一時借りてきたナイフとフォーク、大変重宝しました。帰りの便では、ちゃんと戻しておかなきゃいけません (-_-;)
 真ん中は、一昨日、正式にもらったシュパイヤー市のワイン・グラスで、市の紋章が入っています。紋章の反対側には、▲印が5つ並んでいて、ワインを入れる基準線になっています。しつこく、こだわっていますねぇ。
 日本で生ビールを注文して、隣の人より何センチも泡の多いビールを持ってこられると、スネますね。法治国家のビールは、きちんとある線までは入っていなきゃ。日本のジョッキ・ビールは、泡池国家風?

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2005.09.22

行政・自治No.29 うわさ話は、世界を回る

050920speyersymposium1_dsc_1187行政・自治No.29 今回の短期留学滞在の締めくくりになる共催シンポジウム21世紀初頭におけるドイツと南・東アジアにおける分権化と地方自治」が終わりました。報告したのは、インド(1名)、スリランカ(1名)、日本(4名)、韓国(2名)、中国(2名)、ドイツ6名でした。
 19日(月)~21日(水)の3日間です。前夜の18日は、18時大学出発。19時~23時はワイン街道のワイン・レストランで上品なフルコースのドイツ料理。私にとっては2度目のレストランですが、小さな町に、こうした立派なレストランがたくさんあるのには改めて驚きます。寮に戻ったのは24時が近かったですね。それから、翌日の、というか、当日の基調講演の見直し、短縮化。
 19日(月)は9時から18時までの基調報告や各国レポート、19時から市庁舎の「歴史の間」で、市長招待のレセプション。ほぼ全員が、担当者の許可を得て、市の紋章や市名の入ったワイン・グラスを記念にくすねて(いただいて)きました。
 20日(火)は、なんと、朝9時から19時23分まで、午前20分、昼食1時間ちょっと、午後の休憩25分を挟んで、えんえんと報告と討論です。その後、大学主催の小さなレセプションが学内で。その後は、大多数は夕食もかねて街へ繰り出しました。
 今日、21日(水)も9時からで、休憩は1回だけ短時間。一応、昼過ぎに終了しました。
 私の場合、最初から最後まで、ピチャース教授と議長席に座っているわけで、居眠りなどはまったくできず、報告を聞きながら進行の打ち合わせをし、ときに司会者、ときに基調報告、ときに日本の状況について補足説明、と息を抜く暇がありません。
 しかし、夕食時・夕食後の酒の席での世間話・うわさ話は、4カ国、5カ国の人物評価などにわたり、良い噂も、悪い噂も、国際的にすぐ伝わっていくことを、これまた改めて実感しているところです。
 本当に世界は狭くなっています。そして、また今回も良い経験ができました。惜しいのは、日本でこのような国際的なシンポジウムを開催する条件が物的にも人的にも、財政的にも不足していることに加えて、何よりもシンポ開催のノウハウが蓄積されていかないことです。いつも、一からのスタートで、そのとき限りのスタッフ「動員」で終わります。多分、日本の国立大学法人などでは、数十年経っても、スマートな運営は無理でしょう。企業に運営を任す、というような形になるのではないでしょうか。ソフトのシステムのあり方に、問題を感じます。
 報告と討論の成果は、来年夏頃までにドイツの著名出版社、Duncker & Humblodt 社から刊行の予定です。

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2005.09.21

特別講演会のお知らせ

 来る10月15日に松下圭一先生を迎えて、九州自治体法務研究会は、特別講演会を主催いたします。詳細は、こちらをご覧いただいて、電子メールでお申し込み下さい。もっとも、この紹介のチラシは、昨日付でホームページに公開しているのですが、ドイツにいる私は何故か50時間経たないと更新内容が反映されないので、私自身は、まだ、ホームページで本当に公開されているかわかりませんが、ともかくご案内文を載せているはずです。

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2005.09.20

法教育No.4 日本公法学会報告用プレゼン画像:一部公開

BayVwSchuleSee1050816bayvws_muenchen1_dsc_0543法教育No.4 2005年10月8日に行う日本公法学会での報告「人材養成から見た公法学教育の課題」は、その報告時間の全体をパワーポイントを用いますが、本来上映したい画像は数百枚。しかし、時間の制約で、その10%も上映できません。そこで、若手行政法(公法)研究者が、このブログをご覧になっている可能性があることを期待して、事前に、当日には上映できない部分も含めてパワーポイント画像を公開します。(ただし、ホームページの「現在の研究活動」欄に貼り付けたため、ドイツでは50時間経たないと、ホームページに反映されません。日本では、すぐに見ることができるかどうか、確認できません)

 私が今おかれている地理的制約から、PDFファイルを作成したり、スキャン作業をする環境がないため、PDF化に当たっては、原データを日本に送り、PDF化してもらいました。中島さん、有り難うございます。公開に当たっては、なお、以下の前提がありますので、ご留意下さい。

 写真左は、ミュンヘン郊外(列車が日に1本くらい停まる)アマゼー湖畔の辺鄙な村・ホルツハウゼンにある校舎・食堂・寄宿舎・管理人宿舎などもある学校。写真右は、最近できたミュンヘン市内にある本部事務局(教室も一部ある複合施設。民間企業なども入っている)。

・画像の出所は、バイエルン行政学校初級公務員・自営業者などのための行政法総論教科書e-ラーニング用のCD版 です。本来の行政法科目の要約版的なCDです。この教科書そのものは、A4サイズで203ページあります。

・この全6ページ、45枚の画像は、ドイツ・バイエルン州の初級職公務員に就く予定の生徒たち(16歳~18歳)が、教科書とは別に使用しているCD教材を、ひとつひとつパソコンのモニター上のスクリーン画像をコピーし、画像処理ソフトで読み込んで、画像化したものです。CD内の画面は、おそらく数百枚以上はありますが、そのうちの興味深いものに絞った45枚です。

原著作権は、バイエルン行政学校に、許可を得た行った加工著作物については木佐にあります。

無断転載は固くお断りします

・PDF画像自体は、無断引用・改悪を防ぐために、印刷精度を意図的に下げて画面をぼかしてあります

・帰国後は、多忙をきわめるため、逆に学会報告資料の追加公開・アップロードの可能性は低くなります。

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2005.09.19

行政・自治No.28 静かな選挙と熱い選挙(その7) またまた間違い ― お詫びの上、削除し、後ほど加筆します

行政・自治No.27 昨日付の行政・自治No.27において、「「開票」は、投票翌日の月曜の朝8時から夕方17時までに全国一斉に行われるそうです」と書いた部分は、削除します。
 今日18日(日)は、19時から23時までワイン街道のレストランにおいて、シンポジウムの外国人報告者を招待しての大学主催の食事会がありました。その帰途に、日本人研究者3人が、実際にドイツ連邦議会や地方議会の開票に3回ほど選挙開票責任者として携わったことのある30歳前後の方(女性)から、ドイツにおける開票時間と開票の仕方を聞きました。
 結論は、ドイツでも即日開票であることがリアルに判明しましたので、昨日の記事を2行、カットします。
 即日開票ではありますが、職業公務員が直接開票作業をすることないそうです。100票とか200票の単位で、集会所のようなところで、市民だけで開票し、電話で集計センターに報告するのだそうですが、開票作業にあたっては、守秘義務や疑問票の扱いなどについても開票に名誉職として関わる市民に説明をし、疑問票は市民の合議で決定し、最終的には選挙開票責任者の責任で判断するそううです。この女性の方、学生身分のままの20歳代で、すでに選挙開票責任者を務めているのです。市民の「自治力」の問題でしょう。
 そして、開票結果が、裁判になることは、理論的にはありうるが、実際には聞いたことがまずない、という回答に、日本では当選訴訟や選挙訴訟の活用が活発であるのが、反って異常ではないかとも思った次第です。
 で、もっと正確なことは、後ほど、今日話を聞いた日本人研究者の合議?と、ドイツ人で選挙に詳しい方の意見をさらに聞いてから、ご報告することにします。ただし、この件は、数日以上、あとのことになります。
 どうやら、スイスでも見聞しましたが、われわれ日本人が「自治」と考えていることと、ドイツ・スイスなどで、「自治」として行われていることには、ベースの違いがあるようです。日本で、なぜ、職業公務員が開票をし、あるいは、選挙管理委員会を設けることになっているのか、その歴史をたどり、今、それが必要なのかどうか、改めて、一から考えていく必要がありそうです
 日本で「ガバナンス」とか「協働」とか言う場合に、その中身にも、もっと立ち入っていく必要性も見えてきます。
 ともかく、選挙実態があまりに違うのに、単なる「選挙法制」の文言の比較研究などではすまないのでは、というのが今夜の感想です。

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2005.09.18

行政・自治No.27 静かな選挙と熱い選挙(その6)

050917SpeyerWahlReklameKlein行政・自治No.27 今日は、日本公法学会で行う報告プレゼンのパワーポイント画像の一部や報告目次をアップしようと思っていましたが、急遽、変更です。
 ドイツ連邦議会の選挙は、ドイツ時間であと1時間ほどで日付が変わる18日(日)に行われます。今日は、選挙キャンペーンの最終日。多少は、例のテント下でも賑わっているのではないかと、用事もないのに無理矢理時間を作り、カメラだけもって、丘を降りていきました。ナント、まったく選挙の「気配」の「ケ」の字もありません

 例の選挙運動を各党が展開していた大通り(8月29日付の行政・自治No.22 及び9月4日付けの 同No.23 を参照)には、もはや政党のテントが1つもありません。その代わり、秋の収穫を祝う屋台・露店が、あの700メートルの道路を埋め尽くし、人をかき分けないと前へ進むことができないほどです。この大通りの一番遠いところまで行ってみましたが、ついに選挙の雰囲気を感じるものはまったくありませんでした。
050917SpeyerHelbstFestKlein1 仮装をしてパンを王冠のように飾って歩いているオジさんもおれば、たった一人で7役・8役の楽器演奏をして、投げ銭を集めている人もいます。
 露店は、実にさまざまです。トウガラシだけで作ったリースも見事です。ハロウィンに飾ったり、使ったりするのでしょうか、種々のカボチャの店が多数。男性が持っている青い色の大きな花は、ドライフラワーにして冬の間の居間を飾るのだそうで、多くの人が買い込んで持ち歩いていました。050917SpeyerHelbstFestKlein2 アルコール度数の非常に高い蒸留酒(キルシュ・ヴァサーなど)の専門店も、写真の下の3つの店のように、並んでいます。牧草などで作った大きな人形がドームの横に座っています。一言でいって、収穫祭なのでしょう。その出店申請拒否処分のことが、次回の「行政法教育」のところで出てきます。なんと、順序よく、話がつながっていることでしょう!
 選挙は、郵便投票で済ませている人も多いようです。
 かねがね思っていますが、なぜ、日本では、一刻を争う重要な行政訴訟事件が10年も20年もかかるのに、人命にまったく関係のない開票行為が一秒を争って行われるのか、不思議でなりません。投票所の管理事務から、徹夜で開票作業に当たった職員が、そのまま早朝から平常の仕事を続けることは無理だと思います。非効率を前提に、残業手当、弁当屋さんの営業活動などのために、わざわざ日本では即日開票をしているのですね。私個人は、時間を短縮して早くすべきことは、即日(瞬時)開票よりほかにも、あるのではないか、と思っていますが、遠吠えでしかありません。

 すでに行政・自治No.22, No.23 をご覧になった方は、大型の公営?掲示板が3枚から2枚に減っているのにお気づきでしょう。なぜか、10日ないし2週間前から、2枚になっています。最終段階では、従来からのポスターの上に、さらに、小さなキャッチコピーを貼っている政党があり、道路脇も、従来より多くのポスターが見られます。また、ある政党のポスターは、何枚も取り外して、街路樹の脇に捨ててあります。いたずらで、目がくり抜かれているポスターもあります。
 いずれにせよ、「連呼」は、1回も聞くことなく、静かに選挙「」は、終わったようです。選挙関係の集会は、シュパイヤーの町中で、今日2件はあったそうですが。

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2005.09.17

弁No.44 台湾の司法改革(その9) 中央警察大學の院生の司法改革観

050629taiwanpoluni_1_dsc_0027050629taiwanpoluni_2_dsc_0022弁No.44  台湾に「国立中央警察大學」があります(英語版あり。法律部門のHPはこちら)。この大学は、日本の警察大学校とは異なり、日本で言えば文部科学省の所管です。この辺りも、今後、「法教育を考える」のシリーズの中で述べるように、台湾はドイツ的です。まぁ、先進国では、当たり前のことと言っていいのでしょうが。
 で、このブログに書いた台湾の司法改革についてのコメントを参考に、この大学の院生ゼミで(当然、院生は全員が警察官です)台湾の司法改革に関して議論をしてくださったそうです。
 そのゼミでの議論の最大公約数は、というと、「院生たちは大学を入る前に、台湾の司法はもうこうなっていますから、当たり前だと思っているようです。ただ、スイスの消防栓に興味津々です。」
 う~ん。ガツン。
 写真左は、この中央警察大學の正面。この大学内には、世界中の警官の制服などを集めた博物館があります(右)。
delacroix_dscf0612 このブログの熱心な読者で、司法問題に非常に関心をお持ちの日本の某自治体の職員の方、40(30?)歳台ですが、「セーホーキョー(青法協)」と言われても、何のことかわからない、のだそうです。今、裁判所に入っていく新人裁判官たちも、すでに35年程度前の青法協問題など、知るはずもないですね。ちょうど、私が「大正10年前後の歴史を述べよ」と言われているようなものです。従って、私が書いた『人間の尊厳と司法権』であれ、監修した映画『日独裁判官物語』であれ、若い裁判官には、違和感をもつ方がかなりおられる、とも聞いたことがあります。
 先人が苦労して開いた道も、すぐに当然のことになる。空気や水のようになってしまいます。歴史に学ばなければ、「」の意義・意味はわからない。しかし、人々に、その暇はない。ジレンマです。
 「権利」も血を流して勝ち取られています。ときどき、こんな絵も見直さなきゃ。ウージェーヌ・ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」(1830年作)(ルーブル美術館は撮影自由です。20年前に行きました。インターネット上にはもっときれいな絵が載っています。あくまで自分の撮影分にこだわっているだけです)

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2005.09.16

数字1つで、100年間違えていました。

 オットー・マイヤーの著作が1995年のはずはありませんね。1895年の誤りです。深夜2時頃の作業で、思い込みにより書いており、数字のところまで、見直していないというミスをおかしました。寝不足がたたっています。本文は訂正しました。私信も含めて、ご指摘有り難うございます。読んでおられる方があるとわかって、逆に、ホットしたというか。
 Freiherr von Stein ではなくて、Freiherr vom Stein が正しいので、フライヘル・フォム・シュタインに直します。
 のんびりと暇つぶしに書いているように見えると思いますが、当方、日本でやるべき日本の仕事のために毎日が猛烈に過ぎていきます。4日前の買い物中に、店の陳列棚の角に、足のくるぶしの上をぶつけ、少し血が出たので、日々メンタムを塗っておいたら、痛みが増して、ついに膿まで出てしまいました。まぁ、早い話、免疫力の低下現象ですね。いよいよというときに、今朝は医者通いとなり、午前中がパーに。ドイツの開業医って、朝8時から11時まで、というところが少なくないのです。
 逢坂誠二氏が国際的政治家になられるよう、1年前から、ここシュパイヤーにおける国際シンポジウムでの報告を企画していたのですが、ついに土壇場で渡航不能となり、プログラムの最終講演が削除となりました。あ~あ。

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法教育No.3 オットー・マイヤー通り

o_mayer_str2_dscf0213fvstein_str_dscf0214法教育No.3 写真の加工もして、できるだけ毎日、ブログを書いているのですが、ほとんどコメントもないし、時間の無駄だから、もうブログは止めようかなぁ、と思っている昨今です。
 最近、ある学生の方のブログに、オットー・マイヤーのことが出ていたので、今日は、ちょっとだけ寄り道です。
 私が今いるシュパイヤー行政大学院は、自動車がたくさん走る大きな道路は別として、あと2本の道路が縦横で囲っています。一つが、オットー・マイヤー通り。もう一つが、フライヘル・フォム(vom)・シュタイン通りです。(あまり詳しくない業界外の方のために付言しておきますと)前者は、日本の行政法にあたっても元祖のお一人ともいえる1895年に行政法総論の本を書いたドイツ人(でしょ?)。後者は、高校生でもならう19世紀初頭のシュタイン・ハルデンベルクの改革の方のシュタイン。行政学で有名な19世紀後半のロレンツ・フォン(von)・シュタインは別人。で、オットー・マイヤー通りとフライヘル・フォム・シュタイン通りの標識だけでもお見せしましょう。
860910BVwG
 ちなみに、19世紀初頭改革の片割れのハルデンベルクは、この間までベルリンのツォー駅から数分のところにあったドイツの連邦行政裁判所(写真左)(ちなみに、この建物、旧・プロイセン上級行政裁判所でもあり、戦後、これを連邦行政裁判所とすることについて、ソ連からの猛烈な反対があったことは有名な話です)の所在地の街路名でもあります。ハルデンベルク通りです。最近、連邦行政裁判所は、ライプツィッヒに移りました。元の連邦行政裁判所の大法廷には、グナイストの胸像があります(木佐『人間の尊厳と司法権』に写真あり)。この胸像も、ライプツィッヒに行ったかどうか、興味あるところです。
 ちなみに、旧・西ドイツ時代は、ツォー駅が、いわば西ベルリンの中央駅ですが、東西再統一の後は、オスト(東)駅と機能分担というような関係にありました。今は、両者の中間にとてつもない中央駅を建設中です。
 そう、ドイツの鉄道の話をするとキリがありません。フランスのTGV型の超特急が、来年からパリ-シュツットガルト間パリ-フランクフルト間に走ります。パリとの間が日帰り圏に。今、ヨーロッパでは猛烈な鉄道建設が続いています。リクエストでもあれば、別の機会に。この話、法教育と関係ありません。

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2005.09.15

法教育No.2 プールと法教育の関係

schwimmhale_91no317法教育No.2 このブログの最初の方をお読みの方は、すでにご承知と思いますが、私は、いかに高邁な「理論」・「学問」であっても、社会科学系の場合には、一定の実用性が要請されると考えています。
 よく、日本の大学法学部を卒業した学生が、4月の入社式や入庁式の際に、あるいは、研修の際に、「大学で学んだことは、まず、忘れてください。わが社の風土、わが役所の仕組みを学んでいただきたい、あるいは、これに慣れていただきたい」と言われるようです。
 これがまかり通っています。しかし、それは仕方のないことで、社会で使える「学問」を大学で教育対象としてはいなかったから、この企業や役所の姿勢を批判・非難はできないのです。
 さて、ドイツの小学校では、プールの授業、すなわち水泳教育は、速く泳ぐ人を1番と位置づけるためでもなく、筋肉をたくさんつけるためでもなく(もちろんその側面はあるでしょうが)、実は、生き延びるためにあるのです。
 ドイツのギムナジウムでは、記憶が正しければの話ですが、衣類を着けたまま20分でしたか、立ち泳ぎでもしながら、溺れずに生き続けるようにすることが水泳教育の目的なのです。「道具」としての水泳なのです。なぜ、その印象が強烈かといえば、次のようなエピソードがありました。
 このホームページにリンクを張った女性バイオリニストであるアラベラ・美歩・シュタインバッハーさん(私からすると、美歩ちゃん、なのですが)が、ギムナジウム時代に水泳が嫌いで、先生に「絶対に私は飛び込まない」と言い張った。先生は、「いいですよ。でも、衣服を着て泳ぐことが大事なことはわかりますね。洪水の中で生きていけなくなっても、あとは、自分の責任ですよ」と言って、無理強いはしなかった。日本ならそれで体育の通知票の点数がぐっと下がるところですが、体育の成績にまったく影響はなかったのです。
 私は、水泳教育が、生き延びるためにあることにあることを、約20年前に教えてくれることになった美歩ちゃんに感謝しています。
 写真は、ヴュルツブルク市の公営プールです。奥の方に、飛び込み台のある深いプールが見えます。
 そういう目で見ると、ドイツの法教育も、次第に理解が容易になり、大学法学部も含めた日本の法教育が何のためにあるのか、問題点が何か、見えてくることになります。

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2005.09.14

行政・自治No.26 静かな選挙と熱い選挙(その5)

041021BT_KinderGDSC_0075050913spd_kandidatin_dscf0651行政・自治No.26 ボンからベルリンに移ったドイツ連邦議会の議員は、というと、妊娠中の議員や、小さな子どもを抱えた女性議員がかなり多いです。そこで、連邦議会のあの有名な透明のドーム状の屋根のある議会地下の廊下で結んで、議会に新設した保育園があります。左上がそれです(この写真の左下部分は黒いですが、これは議会棟の翳です。当日はあまりに天気が良かったので)。今、私が今住んでいるいる市のSPDの女性候補者の写真です(写真右)。当選するかどうかはわかりませんが、彼女のおおよその年齢は街角の立て看板の写真でわかるでしょう。彼女たちは、選挙運動で叫ぶことはまったくありません。ほとんど普通に近い生活を送っているはずです。次回に、最終段階のポスターの写真をもう一度載せます。
 静かな選挙が、この週末に終われば、またドイツ連邦議会の保育園は活気づくでしょう。
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 北欧では、大臣が育児休暇を取るのも珍しくないのですが、男性の議員や公務員・裁判官などが育児休暇を取るのは20年前から散見されていました。
 裁判所における女性と子どもという点で、もっともびっくりしたのは、かつて行ったスウェーデンのストックホルムにある高等行政裁判所(写真左下は、同裁判所の行政訴訟事件のためのラウンドテーブル法廷です)です。当日、庁舎内で見ることができた範囲内でいえば、男性は守衛や運転手だけだったですね。裁判官から事務官まで女性だらけ。おまけに、午後は、子供たちが裁判所庁舎・執務室に何人もいましたからね。この写真は1990年の取材によるものです。よく見ると、裁判長席のところに、木槌(きづち)がありますね。

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2005.09.13

下記の「行政・自治No.25」の右写真、拡大しました

せっかくですから、行政・自治No.25に載せた子ども用のトイレタイル写真を、ドイツ語で読めるように拡大しました。大きく見てみたい方は、クリックしてください。写真だけが出てきます。一見、「犬」に見える方もいらっしゃるでしょうが、私は、ベルリン市(州)のシンボルである「」と見ています。

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行政・自治No.25 静かな選挙と熱い選挙(その4)

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行政・自治No.25 先日もパソコン歴で初めての長期間アクセスなしの時間をもった、と書いたばかりですが、その最新記録を更新し、今回は7日間、アクセスしない状態を意識的に作りました。ブログもお休みにしました。
 本来は、法教育とプールの関係について書かなければならないのですが、日本の衆議院選が終わったので、今日は、選挙後の国会のことについて、触れてみます。
 数年前、司法制度改革審議会設置法(案)が参議院で審議された際に、参議院の法務委員会で意見を述べる機会を持ちました。その際に、参議院の食堂で昼食を取らせてもらったのですが、案内してくださった方の解説によると日本の国会の食堂はもっとも栄養管理に気をつかっているとか。それは、高齢の国会議員が多いため、脂肪分の少ないものとか、食材選択、調理法にも工夫があるのだそうです。
 ところが、ドイツの議会。議会は若い世代や子どもも将来の主役です。写真左は、早い話、ベルリン市(州)議会男性用トイレです。同議会の入り口のロビーでは、多数のナチス時代の残虐な写真・ポスターなどの展示会もしていました。偶然に入った男性用トイレ。左だけ、ドイツのトイレでは珍しく低いものがあります。その上を見ると、右の写真のように、タイル張りで、「あすの議員(Abgeordneten)のために」と書いてあります。議会が身近です。思わず、私も微笑んで、パチリ(2004年11月撮影。)。絵になっている熊は、ベルリン市のシンボルです。
 でも、ドイツ連邦議会は、もっとびっくりです。それは、明日にでも。

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2005.09.06

法教育No.1 法教育 事始め

05schwimmhalle1_dscf046805schwimmhalle3_dscf0469法教育No.1 今年の公法学会で、ロー・スクールと大学法学部以外の諸分野における公法教育のあり方について、報告をする予定になっています。2005年10月8日です。
 そこで、ここ15年間、私が関心をもって調査をし続けてきた法教育に関して、少しずつ、写真を使いながら意見を述べることにしましょう。
05schwimmhalle2_dscf0472  まず、最初に、シュパイヤー市の市営プールです。プールの深さが4.5メートルから5メートルあることがわかります(左上の写真の真ん中に身長160センチくらいの人が立っているのでわかりますね)。
 子供用のプールは別に室内にありますが、この競泳用プールも深さ50センチくらいになるように機械で動きます。さらには、プール全体が、(おそらく)正式な競泳ができるような深さになるように調整できます。下の写真は、深さ50センチ程度の底の下を見たもので、上の床の下に全面タイル張りの本来のプールの底があるのがわかります。
 これが、なぜ、法教育と関係あるのでしょうか。
 私の著書『豊かさを生む地方自治ドイツを歩いて考える』(日本評論社、1996年)も、プールの写真から始まっていました。
 プールは、法教育を考える上で格好の素材なのです。これから、当然のことながら、さまざまのテーマの合間に、ということになりますが、「法教育」のあり方について、相当長い連載を始めます。

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2005.09.05

行政・自治No.24 静かな選挙と熱い選挙(その3)

speyerrestaurant1_dscf0217050828StammtischDSCF0352行政・自治No.24 ここドイツでは、街頭でうるさい選挙運動がなく、せいぜい歩行者専用道路などのテント下でのほそぼそとした「対話」が行われていますが、対話の場所は、そこだけではありません。
 ドイツの場合、どんな田舎の町や村に行っても、たいていは、雇用確保などの目的で意図的に設置された連邦や州の各種の施設があります。私の取材先にも、本当に小さい町や村があります。その小さな村の食堂に夕食のために入ると、さも日本人を初めて見たというような視線を浴びることがあります。そういう村であっても、レストランは実に小ぎれいです。そして、どんなレストランにも地元の常連だけが座れるシュタム・テッシュ(辞書には、「常連用のテーブル」とあります)があって、そこでは、しょっちゅう政治についての侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をしています。
 この写真は、今いる大学の交差点反対側にある、近くに店もほとんどない小さなレストランで、その名前は、直訳すると「おばあちゃんの台所」。ここにもシュタム・テッシュがあります。
 日本人は、意識的に自分の政治信条や支持政党についての言及を避けますし、生涯、政治に関わらなかったことを誇りにする人も普通ですが、こちらでは公務員や自治体連合組織の職員などでも所属政党は重要な意味を持つので、給料の号棒と同様に、意外にあっけらかんと所属政党・支持政党を教えてもらえます。どの政党にも所属していない人の場合にも、おもわぬ第三候補者として有力なポストに就くこともありますし、政党人なるゆえに、州によっては不利なこともありますが、16もの州があり、異なった政党、ないしいくつかの政党の組み合わせの妙で、どこで芽が出るかわかりません。
 かつて、ドイツで司法改革を進めた中心人物のヴァサーマン・ブラウンシュヴァイク州上級裁判所長官(同氏については、この私のホームページの「とりあえずのご紹介・3」をご覧下さい)が1986年に著したベストセラー「観客民主主義」(彼の著作のドイツamazonにおける全リスト)。残念ながら、表紙画像がありません。私の自宅には現物がありますが)が描くように、ドイツとて国民は政治劇を芝居として見ているということへの批判がありましたし、今でもあるでしょう。日本から見ると、レベルがだいぶん違いますが。

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2005.09.04

行政・自治No.23 静かな選挙と熱い選挙(その2)

050903SpeyerWahl3DSCF0445050903SpeyerWahl2DSCF0446行政・自治No.23 選挙のキャンペーンが始まってもう1か月は経つでしょう。前回のブログ写真からほぼ1週間が過ぎました。同じ場所で6日後の9月3日(土曜日)に撮った写真が、今日の上の2枚と下の左です。選挙そのものは、9月18日です。白い大型掲示板は公共設置のもののようで、その後、CDUやSPD、緑の党のポスターが張り出されました。日本であれば、同じ面積で、同じ使い方が要求されると思いますが、どうみても、バラバラです。キャンペーン活動は、前回と同じ場所ですが、今日は、右翼政党も同じ形・サイズのパラソルを出して、市民に説明、というより、討論をやっています。母子3人は、SPDの風船を5つももらって帰宅する途中です。SPDに投票する保証ってまったくありませんが・・・。
 それにしても、この写真の対象物さえなければ、選挙が行われているという感じはしません。
 CDUの党首で、首相候補アンゲラ・メルケルさん(女性)は、旧東ドイツ出身で37歳くらいのとき、連邦政府の大臣になりました(経歴)。この当時、コール首相らによる大臣任命は単に人気取りでは、といった風評もありました。今では、党を率いるところまで来たのですね。050903SpeyerWahl1DSCF0447 89deutschvwritag_541
 他方で、これまでの首相SPDシュレーダー氏(同首相の経歴については、ここ、または、これをご覧下さい)。1989年当時、彼はブラウンシュヴァイク市の青年市長でした(といっても、計算すると45歳くらいです。35歳か36歳のときに連邦議会の議員になっています。彼がブラウンシュヴァイク市の市長だったという記録は意外に日本での紹介記事に載っていないようです)。彼がドイツ行政裁判官大会において、地元市長かつ法律家として挨拶をしている様子です。その短い挨拶の全部を理解したわけではありませんが、単なる若い法律家というにはとどまらないな、ただものではないな、と当時直感したものでした。その後、1990年にはニーダーザクセン州の首相、その後、連邦首相と、あっというまに、政治の頂点に躍り出ました。ドイツの政治家は、若くていいですね。
 ちなみに、日本の地方議員ドイツの地方議員の平均年齢は、干支で一回り違います。つまり、平均年齢が12歳ほど、ドイツが若いのです。まぁ、その辺りの仕組みはいずれ。
 こちら、ヨーロッパ。猛烈な暑さで、しばらく大学町を離れていましたが、連日30度を超す日々です。冬物の衣料品が足りるか心配でしたが、目下、真夏の服装です。

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