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2005.09.15

法教育No.2 プールと法教育の関係

schwimmhale_91no317法教育No.2 このブログの最初の方をお読みの方は、すでにご承知と思いますが、私は、いかに高邁な「理論」・「学問」であっても、社会科学系の場合には、一定の実用性が要請されると考えています。
 よく、日本の大学法学部を卒業した学生が、4月の入社式や入庁式の際に、あるいは、研修の際に、「大学で学んだことは、まず、忘れてください。わが社の風土、わが役所の仕組みを学んでいただきたい、あるいは、これに慣れていただきたい」と言われるようです。
 これがまかり通っています。しかし、それは仕方のないことで、社会で使える「学問」を大学で教育対象としてはいなかったから、この企業や役所の姿勢を批判・非難はできないのです。
 さて、ドイツの小学校では、プールの授業、すなわち水泳教育は、速く泳ぐ人を1番と位置づけるためでもなく、筋肉をたくさんつけるためでもなく(もちろんその側面はあるでしょうが)、実は、生き延びるためにあるのです。
 ドイツのギムナジウムでは、記憶が正しければの話ですが、衣類を着けたまま20分でしたか、立ち泳ぎでもしながら、溺れずに生き続けるようにすることが水泳教育の目的なのです。「道具」としての水泳なのです。なぜ、その印象が強烈かといえば、次のようなエピソードがありました。
 このホームページにリンクを張った女性バイオリニストであるアラベラ・美歩・シュタインバッハーさん(私からすると、美歩ちゃん、なのですが)が、ギムナジウム時代に水泳が嫌いで、先生に「絶対に私は飛び込まない」と言い張った。先生は、「いいですよ。でも、衣服を着て泳ぐことが大事なことはわかりますね。洪水の中で生きていけなくなっても、あとは、自分の責任ですよ」と言って、無理強いはしなかった。日本ならそれで体育の通知票の点数がぐっと下がるところですが、体育の成績にまったく影響はなかったのです。
 私は、水泳教育が、生き延びるためにあることにあることを、約20年前に教えてくれることになった美歩ちゃんに感謝しています。
 写真は、ヴュルツブルク市の公営プールです。奥の方に、飛び込み台のある深いプールが見えます。
 そういう目で見ると、ドイツの法教育も、次第に理解が容易になり、大学法学部も含めた日本の法教育が何のためにあるのか、問題点が何か、見えてくることになります。

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