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2006年1月の記事

2006.01.31

行政・自治No.45 (旧)紀伊長島町水道水源保護条例事件・差戻審(続報)

行政・自治No.45 紀伊長島町(現・紀北町)と水道水源保護条例を検索語にして、このブログを訪ねていただく方がかなり多いものですから、一言。

 実は、紀北町の担当課長様にお尋ねしたところ、2005年12月に予定されていた判決は延期され、2月24日の午後名古屋高裁で言い渡されることになっているそうです。同町では、ホームページでも、この件については、判決が出るまで一切コメントしない方針とうかがいました。

 そういう事情ですので、あと3週間ちょっと、待つことにしましょう。この項目、「自治体法務・政策法務」のカテゴリーに移した方が適切のようですが、スタートが「行政・自治」でしたので。

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2006.01.30

弁No.54 国会議員バッジ、弁護士バッジ

弁No.54 2006年1月28日付の朝日新聞に自公議員から議員バッジ廃止論が出ているという記事が載っていました。「国会議員でバッジをつけているのは日本と韓国ぐらい。アジア的後進性の象徴とさえ言える」という議員自身の声だという。市町村議員も含めて、議員バッジは組紐(正式には何というのですか?)で落ちないようにしてありますね。

 小泉首相は、2005年6月8日に国会議員バッジを着けないまま参院本会議に臨み、秘書官らが気付いて衆院事務局まで走って予備の国会議員バッジを調達して首相に届ける一幕があったということです。顔パスではダメなのでしょうか? ニセのバッジでも形状が同じなら通過できるのでしょうか? 国会議員には身分証明書はないのでしょうか?

 バッジ一つでも「国家論」になるほど、語るべき問題はあまりに多いです。

 市町村から国まで、議員も日常はバッジを付けることが少なくなったような気がします。かくいう私も中学校卒業以来、バッジを持ったことはないように思いますが、一昨年の7月からバッジを持つことになりました。実際には、国選弁護事件の法廷と、警察拘置所に入るとき、そして、市役所や公的機関での法律相談、さらには、家宅捜索の立会い時以外には付けたことはありません。従って、バッジそのものは今でも空気を浴びていないので金ピカのままです。

 そもそも、日本の司法改革が、最終的に成功すれば、弁護士もバッジを付けなくなるときであろう、と書いたことあります。特に若い頃は、通勤電車の中で、バッジを付けている弁護士を見ると、何となく特権意識丸出しに見えてとても嫌な印象をもったものです。したがって、自分としてはあまり付けたくはありません。行政法の講義をしたこの後期に、1回もそうしたものを「開示」しなかったので、出席カードには、一度近くで見てみたいというのがありました。さて、バッジ問題は、まだ、いろいろ論点があります。裁判官・裁判所職員のバッジのことも、検察官のバッジも。

 ただ、最近、列車や地下鉄の中で、会社員や団体職員らが、結構大きなバッジを付けることが多くなったような気がします。一時期より組織への忠誠、あるいは帰属意識を求められる風潮によるものでしょうか。あるいは、バッジや首からぶら下げる身分証で、悪いことをしないように、とか、情報公開機能を持っているのでしょうか? それとも、そもそも、これは私だけの感想なのでしょうか?

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2006.01.17

弁No.53 相撲だけがモンゴルに負け越しているのではない

弁No.53 中村元弥・旭川弁護士会長による所属会員弁護士向けの私的日弁連理事会報告「平成17年度第14,15回理事会報告」のごく一部を引用させていただきます(05年12月9日付け)。執筆者ご本人の了解済みです。

<引用> (見やすく改行しました。太文字は木佐によります)
 関連して,取調可視化の関係で,既にお手元に配布されている可視化申入書のモデル案とともに,「オーストラリア・イタリア・モンゴル・アメリカ」の調査報告書が配布されました。日本の実状を聞いたイタリアの法曹関係者が「日本は人権B規約を批准しているのか」(検察官),「日本に憲法はあるのか」(弁護士),「23日間の取調,それは拷問だ」(警察署捜査部長)と一応に驚くほど,可視化はとっくに世界標準となっていることを実感させられます。

 特筆すべきはモンゴルで,弁護士の取調立会権が刑訴法上明記され,重罪事件では4割近くが録画・録音される実状にあるそうです。日本はもはや相撲だけでなく,刑事手続においてもモンゴルに負け越しているのです。

 四国弁連大会シンポに参加された富川副会長が紹介した台湾や香港での状況と併せ考えると,日本はアジアにおいても大きく遅れをとり,かつて木佐茂男教授が裁判所の閉鎖状況を指して呼んだ「ガラパゴス現象」が刑事手続においても一層進行していることが窺えます。あまりの内容に,当職は,これを全裁判官・検察官に配布することも考えるべきだと発言しておきました。
<引用、おわり>

 ガラパゴス現象、シーラカンス現象は、さまざまなテーマにおいて、広く深く進行しているようです。

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2006.01.04

法教育NO.6 勢いやご時世で法学教員が動いたら・・・

Gakutoshutsujin_Hinomaru法教育NO.6 戌年の新年に当たり、あちこちで振られていた日の丸を掲げてみました。そして、法学教育がどこに向いているか、考えてみようと思いました。

 東大経済学部長神野直彦教授が、イギリスのケンブリッジ大学では犬を学内に入れなかったという話から始めて、次のように書かれています(『税務経理』8603号(2005年9月27日号)1頁。時事通信社)。
 「猫は疑り深く行動するのに、犬は人間の言うことに従順に従い、真理を探究する大学にふさわしくないからだという。(改行)大学に身を置きながらも、「権力の犬」になった研究者が多くなったと嘆くと、私の教え子でカナダ人のアンドリュー・デウィット立教大学助教授は、日本の経済学者は「犬」というよりも「オウム」だろうと言った。何でも「市場」「市場」と繰り返して叫ぶだけだからである。」と。

 さて、60年余前に、日本の法学者は、時代の流れに沿って、写真のように、学徒出陣に際して、学生に「命を捨てよ」とも言ったのです。
 この日章旗は、私の父が学徒出陣に当たって、東北帝大の教授達からもらったものです。当時、3枚だけを、学生代表がもらったそうで、おそらく現存するのはこれだけではないか、と思います。先年、当時の藤田宙靖教授(現・最高裁判事)を通じて、東北大に寄贈しようとして、教授の内諾を得ていましたが、父が、生きている間は、自分の手元に置いておく、と言ったので、今は実家にあります。ですが、虫に食われてボロボロになってしまいそうです。

 ここに名前を書かれているのは、私が学生時代に読んだ『法律学全集』(有斐閣)の錚々たる執筆陣です。清宮四郎木村亀二中川善之助高柳眞三柳瀬良幹折茂豊・・・。この写真はクリックして拡大してもいいように大きなサイズで載せておきます。
 全員の名前と専攻・専門が判読できた方は、教えていただけませんか? 私には、全員は分かりません。

 さて、今の大学の法学教師。後世に、どのような評価を受ける仕事・活動をしているのでしょうか。ロー・スクールの教育用に、もっぱら、最近の判例と学説だけを読んでいると、いささか気が滅入ってきます。どっかに、もっと大事なことを忘れているような・・・
 なお、この写真、今日だけは、拡大できますが、無断転載はお断りします。転載希望の場合には、必ず、ご連絡ください。

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