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2006年2月の記事

2006.02.26

法教育No.10 うっとおしい季節

法教育No.10 この時期、しばしば、最終回の講義の直前あたりから「単位を落とした」ときの救済措置を求める受講生の声が届きます。最初は、出席カードで、そして、成績発表の直後からは、電話や電子メールで。

 就職や進学が決まっていながら、毎年、わずか1科目を落としたために、企業、両親、本人などから、「ナントカ卒業させてくれ」という悲鳴や、ときに、脅し(?)が来るのです。昨晩は、友人の手になる「嘆願書」なるものが届きました。あれほど、講義中に、この種の単位計算ミスや、うっかり不合格があるから、注意するように、と言っているのですが、実際に、例えば「海外卒業旅行から帰ってみたら単位が足らなかった」というミスをやってしまうのは、大体、講義にも出ていない人たち。要するに、普段、教室で、単位のとり方から、単位の危機管理の話をしていても、聞いてくれているのは、その種の対策が必要でない受講者・・・という大きな矛盾。

 ホントに聞いておいて欲しい学生は、その場に来ていなくて、あとからとんでもない時間を我々教員から奪っていきます。そして、困るのが、こうした場合における各教員の対応がバラバラであることです。「A先生は、救済レポートを書かせてくださいました」、「B先生は、答案を見直して採点結果を変えていただきました」といった類の情報作戦が始まります。早い時点でいさぎよく自己責任として卒業できないという覚悟を決めた学生だけが馬鹿を見るという結果になりはしないか、心配です。粘り勝ちがいいとは思えません。
 
 こうして、1年間の教育の面でもっとも嫌な、うっとおしい季節が、この2月から3月の試験結果の発表時期ですが、実は、もう1回、大きなヤマがあります。卒業予定者発表の当日です。このときに、初めて自分の要卒業単位が足りていなかったことを知る強者もいますから。

 どうしたら、この憂鬱から逃げることができるのでしょう。この種のトラブルは、憲法の講義を担当した年度を振り返ると、ある理系学部に集中して起きます。多くは進学ができなくなるというケースと、教員免許が取れないというケースです。履修指導がちょっと違っているからなのでしょうか。よくわかりません。

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2006.02.20

法教育No.9 「法律用語」の困った問題(2)

法教育No.9 さて、続きです。大臣や知事が「特定行政庁」であるという条文(建基2条32号)も試験問題の参考条文に載せたものですから、さぁ、大変。私の設問の仕方が悪かったせいもありますが、ほとんどの学生は、混乱の極みに至りました。

 どの行政法の教科書にも、法律用語の「特定行政庁」と、「行政行為を行う行政庁」の違いについては書いてありません。そして、「(講学上・学問上の)行政行為を行う行政庁」には、日本医師会日本弁護士連合会もありますが、これらが行政処分を行うという意味で行政機関だということを明確に述べている総論レベルのテキストはあまりないようです。

 総務省の法令データベースによれば「行政庁」という言葉を含む法律は全部で573あります。とても全部を見たわけではありませんが、その多くは行政不服審査法に関連した特例を定めている条文です。「特定行政庁」のように、その用語自体を個別の法律で定義規定を準備しているものがさほど多くはないために、おそらく行政法総論では、「行政庁」の説明をあまりしていないのではないかと推察されます。

 改めて、主要な行政法テキストを見てみましたが、今回の耐震擬装問題の行政法的な説明のヒントを述べているような教科書は、まだないような気がしました。同じように、「公定力」(排除訴訟)の説明にも、最近、実務に携わって、ますます違和感を持つようになりました。早い話、建築確認が降りて、さらに、建築紛争審査会で審査されていても、あるいは、そこで棄却裁決が出ても、仮処分の請求はいっこうに構わないというのが、裁判実務だからです。建築確認を含む許認可を例にすれば、授益(受益)処分を受けた市民・事業者は、行政争訟と民事訴訟の危険にさらされ、逆に、処分の第三者は(金銭的・時間的余裕があるならば)行政争訟と民事訴訟を提起する可能性をもつのです。テキストと実態、あるいは、法律用語の乖離が、どんどん進んでいるように思えます。私の誤解や勘違いだったら、ご指摘いただきたいのですが。

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2006.02.19

法教育No.8 「法律用語」の困った問題(1)

法教育No.8 行政法の講義で、受講生の方に、同じ「言葉」でありながら、意味が違った使われる例として、「公権力の行使」、「執行機関」、「処分」、「公の営造物」、「善意・悪意」などを伝えます。また、法律の規定にある「取消」という語にも、学問的にいう「取消し」のほかに「撤回」のケースがある、などということにも言及します。さらに、「訓令・通達・示達・令達」などの用語に至っては、行政機関・自治体の例規集などをみても非常にまちまちであることも述べます。

 しかし、「行政庁」とは何か、について、著名な教科書でも探した範囲内ではほとんど(察するに、まったく)ないようです。耐震偽造建築物事件を契機に、指定確認検査機関が行う建築確認を素材に、自治体の建築主事が担当するのではなく、民間指定機関が建築確認を行う場合との比較、大臣や都道府県知事の関与の関係も絡めて、行政行為(建築確認)を行う行政庁はどの機関かということを含む質問を作りました。建築基準法の条文を相当数印刷して、試験時に参照条文として配付しています。

 建築基準法の6条の2によると、国土交通大臣又は都道府県知事が指定した者(指定確認検査機関)の確認を受け、確認済証の交付を受けたときは、当該確認は6条1項の建築主事の建築確認、確認済証とみなす、という規定があります。つまり、指定確認検査機関(例、日本ERIとか、イーホームズなど) は、行政行為を行う(講学上または学問上の)行政庁であることは明らかです。指定確認検査機関は、自ら申請して、大臣と知事から指定を受けるので、その「指定」自体は、行政行為(行政処分)です。受講者は、この辺りの腑分けができなくなったようで、ほとんどの受験者の答案は、この点が理解できませんでした。条文を読む力を養う時間が講義中にはなかったからですね。反省しています。

 さらに、世間では、建築確認を民間企業が行うことも含めて、「民営化」、「民間委託」、「規制緩和」などと言っていますので、受験学生の答案では、指定確認検査機関は、自治体からの委託契約・委任契約で建築確認を行っている、といった解答も多数ありました。受験者は、建築確認を自治体の行政機関建築主事=行政庁)が行っている場合を念頭においていますから、建築確認は昔ながらの行政機関が行っている、という頭になっているのですね。新聞もあまり丁寧に読んでいないことの証左でしょうか。

 現在の(建築基準法の)条文を前提にして法的仕組みを読み取るのは、非常に難しいように思います。その躓きの原因として、次回に述べる「特定行政庁」という言葉がありました。これは、大きな問題点。

 そして、このことについては、次回に。

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2006.02.11

行政・自治No.47 町議会で出訴を否決された損害賠償請求事案の町による出訴

行政・自治No.47 昨日、2006年2月10日の18時半頃、RKB毎日放送で、この件についてコメントしました。今回の放映は、同放送のホームページでは文字ニュースも動画ニュースも載っておりません。

 かつて財政再建団体となったことで有名な福岡県赤池町で、前町長に対する6000万円以上の損害賠償請求訴訟の提起をする町側の議案を、議会が否決しました。地方自治法の常識的解釈によれば、町は出訴できないことになりますが、汚職による出直し選挙で新町長が選ばれ、町として前町長に対して損害賠償を請求することになったのです。この町は、まもなく合併します。そこで、常識的な法令違反解釈を承知の上で、町の新(現)執行部は、損害賠償請求訴訟を2月10日午後に提起しました。

 そのような訴訟を簡単に違法と片づけられないと私は考えています。

 放送の中で利用された私の発言部分は、(1)違法行為の後に選出された町長と彼を支持する民意と、元・町長、さらには議会多数派の意見が、法的観点から見て、一致しているとは限られないこと、という部分程度でした。

 ただ、録画の際には、(2)法定局部制、議員定数、地域自治地区、助役・収入役の設置などを初めとして、最近では、地方自治法上の多くの定めが、一種の枠法化していること、(3)およそ自治体が不服審査請求や訴訟の提起の際に、事前に議決を求めていることは、確かに自治体の意思を確定する上で意味があるが、法的解釈上の争点を一律に政治の領域に委ねて良いか、(4)さらに年4回しか開会されない議会での議決を経なければ提起できないのであれば、損害賠償請求はともかく、60日の不服申立期間や旧来の3ヵ月の行政訴訟出訴期間(旧規定)では現実に時間的に対応できないこと(仮処分申請などもってのほかということになります)、(5)(今回は額が大きいが)些細な争訟まで議会の決定の必要があるかどうか。以上のような事態は、すべて今回の司法改革の文脈でも見直される必要があり、今回の議決を経ない(議決で否定された)出訴が、無鉄砲なものと言い切るのは尚早ないし胆略的であるという意見を述べておきました。

 以上の録画は、事前の電話での調整を別にすれば、撮影準備から録画終了まで10分間でした。赤池町の元・町長らによる一連の不祥事などについては、「福岡県赤池町」で検索すると、記事がかなりヒットします。
 昨日は、朝7時半から動き始めて、長時間の仲裁手続などもあって、昼食は午後5時でした。こんな生活でいいのかどうか。

 さらに、ちなみに、ADRとしてもてはやされている「仲裁」制度なども、「人」を得なければ新たな司法被害が生まれそうです。何しろ、上訴の機会がありませんから。
 

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2006.02.08

小澤征爾氏の病気休演

 この(2006年)2月1日に、小澤征爾氏が健康上の理由で今年末までウィーン国立歌劇場における音楽監督としての活動をすべてキャンセルすると発表され、各種のブログでも心配し、回復を期待する声が相次いでいます。すでに日本で病気入院とのことです。私は、というと、この報道の数日前、この5月26日(金)に同氏の指揮により新日本フィルサントリーホールで行うアラベラ・美歩・シュタインバッハーとの演奏会のチケット代金を振り込んだばかりなのです。報道によると日本国内でサイトウキネン・オーケストラだけは指揮する、ということですから、5月の演奏会の指揮者は代役になるのでしょうか。

 このコンサート、新日本フィルのホームページには、「全席完売」のアナウンスとともに、次のような契約条項が。

 ≡ご注意≡
※都合により予告なく出演者・曲目等が変更になる場合がございます。
※演奏会中止の場合を除き、ご予約・ご購入後のチケットの払い戻し・変更・キャンセル等はお受けしておりません。

 小澤氏が指揮者しない場合でも、割引はないんだなぁ・・・

 小澤氏が、1986年頃、私のミュンヘン留学中に、確かバイエルン放送交響楽団を振るという話があって、音楽専攻で留学している学生さんたちとチケット入手の情報収集に焦った記憶があります。これは結局は幻の情報でした。小澤氏ご本人を見かけたのは、都内で開催された日本公法学会の際に、昼食のために入ったレストラン。後から入ってこられた質素な普段着姿の小澤氏が1メートルちょっとしか離れていないところでお食事を。さすがに、「サインを」などとお願いする場面ではなく。

 今はともかく、ご回復を心より祈念します。ソリストの美歩ちゃんは、あいかわらず、世界の超有名マエストロたちと連日コンサートを元気に続けているようです。最近競演した、あるいは、今後予定のある指揮者の名前を聞くだけで、いささか大げさに言うと、この四半世紀の世界の指揮者群像が見えるような気がします。今は、昔のレニングラード・フィル(このオケも好きです。やはりムラビンスキー時代かな)( 現・サンクト・ペテルスブルグ・フィルハーモニー管弦楽団)との長期演奏旅行中。そして、クルト・マズアー、オザワと続いていきます。日本国内でトラブルが起きたら、急ぎの場合には代理人として私が登場することになっていますが、そういうトラブルや事故がないことも祈りつつ。

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2006.02.06

法教育No.7 なぜか同じカーブに

060204kougi_shussekihyou_end法教育No.7 1月末に、後期の「行政法1=行政過程論」講義が終了しました。今年度後期も、1回の休講もなしに行いましたが、26回しか確保できませんでした。2年前の同じ講義と重ねてみますと、やはり、出席者数の変化はほぼ同じでした。今年度の方が、少し波の幅が小さかったようではあります。どんなに努力してみてもいっしょなんですね。21回目までは、出席カードを全部読んだ上で、ホームページ上でコメントができました。「生協の白石さん」に似ている、という声もありましたが、私は、そのブログを1回も見たことがないので比較のしようがありません。そうそう、終わり頃の出席者は200人強でしたが、受験者は270人でした。まだ、本格的な採点に取りかかる余裕がありません。

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2006.02.05

弁No.56 ドイツ連邦行政裁判所長官の講演会について

弁No.56 ドイツの行政事件の最高裁である連邦行政裁判所の長官エッカルト・ヒーン氏の講演会が開催されるそうです。

 同裁判官には、1986年3月19日にミュンヘンで、バイエルン州の高等行政裁判所判事でいらっしゃったとき、同州の地方自治法のコンメンタールの執筆者としてインタビューしました。その半年後の9月10日には、ベルリンの行政事件の最高裁に移られており(6月に就任)、ツォー駅近くの連邦行政裁判所で再会しました。拙著である『人間の尊厳と司法権―西ドイツ司法改革に学ぶ』(日本評論社、1990年)の77頁、378頁に登場します。あれからちょうど20年経ったのですね。

 今回は、行政裁量がテーマのようですが、この拙著では、同氏が、バイエルン高等行政裁判所長官ロッツ氏と同じく、「行政裁量は市民の権利保護のために厳しく統制されるべきで、干渉の過剰として時に批判される現状も法が求める裁量統制の限度にとどまっており、法律上認められた行政の自由な余地を圧迫しているのではない」という趣旨のことを述べておられたことを紹介しています(378頁参照)。

 バイエルン州といえば、保守的で知られた地域ですが、そこの行政裁判官でも、このような感覚が通常なのです。同裁判官は、行政庁の出身ではなかったかと記憶しますが、今となっては不鮮明です。

 こういう言葉を、是非、日本の現職裁判官に聞いて欲しいものです。

―― 引用 ――
 講 師 エッカルト・ヒーン氏(ドイツ連邦行政裁判所長官)
                  
 題 目 ドイツにおける行政裁量の裁判的統制
           
 日 時  平成18年2月14日(火)15:00~17:00

 場 所 関西大学千里山キャンパス 児島惟謙館1階 法学研究所第1会議室
      〒564-8680 吹田市山手町3-3-35 関西大学法学研究所
      TEL 06-6368-1179/ FAX 06-6339-7721
      E-mail : hk-adm@www.kansai-u.ac.jp       
  
 備 考  講演・討論のいずれにも日本語通訳が付きます。

 詳しくは、 こちらをご参照ください。
―― 引用、おわり ――

 私も、是非、出かけたいのですが、叶うかどうか・・・

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2006.02.02

弁No.55 国会議員のバッジ、弁護士のバッジ(その2)

taiwan_gericht_nameplate弁No.55 先日の弁No.54で「国会議員のバッジ、弁護士のバッジ」を書いてから、それに対するコメントで、私が身近におつきあいしている弁護士の方が、意外にも、バッジを日常付けていらっしゃることが判明しました。
 しかし、やはり最近は、本当に同僚弁護士がバッジを付けている姿を見ることは減ったように思います。ほとんどの弁護士が、裁判所やどうしても付けなければならない場所に入るときだけに、直前に付けているような気がします。地下鉄赤坂駅の近辺でも、弁護士が乗降している割りには見ませんね。こうして、バッジを付けなくなると、裁判所の中では、誰が当事者で誰が代理人か分からなくなります。まさに、ドイツでは司法改革のときに、裁判官にも法服は要らないのでは、という議論が起きたものの、参審員もいる法廷が多いので、誰が裁判官かが分からなくなるということもあって、法廷にいる裁判官は法服を脱がないようにした・・・のです。同じように、弁護士がバッジを持たない国では、弁護士も法廷では法服を着ていますね。

 では、弁護士からバッジを取ったら、どうして弁護士であることを証明するのか。実は、3,000円ほどで弁護士の身分証明書を作れます。日弁連が結構立派な身分証を発行してくれます。ですが、そのことを弁護士さんでも知らない方もおられます。いわんや、普通の市民も、それどころか、私も弁護士登録をするまで、弁護士に身分証明書があることを知りませんでした。今まで、郵便局での不在郵便物受領、銀行での手続の際に、身分証明を求められて、わざと、弁護士の身分証を出したことがあります。が、「完全に」、「即座に」、「ろくろく見ないで」、窓口担当者は、『却下』処分。窓口マニュアルでは、証明書類のリストに挙がっていない!!

 どのような窓口でも、運転免許証健康保険証以外は水戸黄門の印籠にはなりませんでした。誰も見たことないものには証明価値がないのです。確かに、警察手帳の表紙だけを見せられても、私は信用しませんしね。

 上に書いたように、外国では、弁護士にバッジがない代わりに、法曹としての仕事をする場合には、法服があります。ただ、この法服をいつも鞄に入れて、交渉や立会いの場に行くわけにはいかないでしょう。外国ではどうして職を証明するのでしょうか? バッジは、コメントでもいただいたように、いざというときや、警察・拘置所・刑務所への出入りでは便利です。それでも、究極的には、本当に必要かどうか・・・

 天皇の三種の神器から来ている裁判所のバッジ(その説明は、『テキストブック現代司法』(第4版)103頁を参照)を問題にするよりも先に、合議法廷での和解事件なのに、部を構成している3名の裁判官が揃ったのを一回もみたことがなかったり、いつも和解期日にいる部長以外の裁判官の方の名前が最後までわからなかったりするのも、いかがなものでしょう。せめて、写真の台湾並みに、裁判官は法廷にネームプレートを置いて欲しいですね。

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2006.02.01

行政・自治No.46 地震の義援金配分と「官を開く」

行政・自治No.46 福岡で起きた昨年の地震に対して全国から集まった義援金の配分をめぐって、問題が今頃になって発見されました露見しました。早い話、見舞金が福岡県防災計画に従ってとてもおかしな基準で配分されています。たまたま直感で気づいた記者が丁寧な取材をして特集を組まれました。
 地元のRKB毎日放送が2006年1月24,25日の夕方6時以降のゴールデンタイム(?)に特集を放送した際に、法律事務所で撮ったインタビューが放映されました(第2日目の1月25日放映)。原稿のごく一部を今日現在でも同放送のホームページで見ることができます。 2月1日の夜になって気づきましたが、ニュースの当該部分が音声付き動画になっています)
 配分基準に限りませんが、「人と財産を救う」計画が、今後、防災計画と、各県庁や警察・自衛隊が進めている国民保護計画との間でも、大きな問題になっていく可能性があります。

 さて、今日の日本経済新聞は、長く散発的に続いてきた「官を開く」という特集の最終回でした。第4面でしょうか、1面全部を使った最後のまとめの特集欄があります。そこに虫眼鏡で見なければ分からないような私のコメントが「25文字」載っています。これだけ見ると、記者とのやりとり内容も不明で、中学生・小学生でも言えるようなしまりのない言葉になってしまいます。記者の思惑とは別に、デスク・レベルで大幅にカットされるから仕方ないでしょう。依頼段階では70文字(!)ということでした。記者に紙面の流れに応じてまとめていただくように多め文字数で送稿した文章は、次のようなものでした。

 「日本では官の統制が諸外国に比べて劣っていた。最近の行政事件訴訟法の改正などで少しは改善のきざしがある。だが、官と民の対立構造自体が問われる。例えばスイスではこの20年~30年で官・公・民の間で自由な流動労働市場が生まれている。自由市場をわが国で実現するには、今の公務員制度と省庁・自治体などの共済制度がガンになっている。情報公開により誤ったもたれ合いを本格的に改革する発想転換が必要だ。」

 文意は相当変わっていまして、コメントはこういう風に、変幻自在のものとなります。

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