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2006.04.01

弁No.61 宮本判事補再任拒否から35周年

弁No.61 昨日3月31日は、宮本康昭裁判官が熊本地裁判事補から判事として再任されなかったことが決定された日であり、それから35周年目の日でした。日弁連会館では、「宮本康昭さんの古稀をお祝いし35年を振り返るシンポジウム」が開催されましたので、都心に3時間ほど滞在して、九州に戻ってきました。
 会場は、福島重雄・元判事を始め、日本の司法改革運動史に名を残す方々で、いっぱいになりました。1990年前後に若手弁護士として「ちょろちょろ」して、私どもといっしょに各種シンポや講演会を企画されていた弁護士たちは、とっくに各単位会の会長職などもすまされ、大変な貫禄です。そういう私は、弁護士登録2年未満のカケダシ。隅っこで、小さくなっている役回りに変わりました。

 シンポを聞きながら、「司法改革」が、今、時代のキーワードになっている一方、本来、問題の根幹にあったものが本当に忘れられずに進められているのかな、ひょっとしたら、原点から「司法改革」の再確認が必要ではないのかな、という感想を持ちます。

 例外はありますが、80年代から90年代の前半まで、およそ司法改革に関心を持たなかった方々により、少なからず給料や報酬をもらっての「仕事」として今の司法改革は進められています。政府や裁判所により、「仕事」として司法改革が制度化されるのは、もちろん、悪いことではありません。この点は、地方自治や地方分権でも同じことですが、ただ、初期の理念と、実際に進む「作業」との乖離にはいつも監視が必要であると思います。

 シンポジウムでは、笑いが出る場面がありました。何人かのパネリストが70年代、80年代として話をしても、「裁判所では、昭和、平成・・・」で考えているので、ピントが合わない、という趣旨のことを森野俊彦判事が話しされて、笑いが起きました。ここでも、元号は、深刻な問題で、市民間の対話を瞬時であれ不成立にします。

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コメント

西暦と元号。
 今回の記事の最後のほうに、笑い話として西暦と元号についての記述がありました。
 元号と天皇制との結びつき、天皇制反対、などという立場ではなく、純粋に合理的な考え方からも、西暦のほうが歴史の時間軸を理解しやすいと思います。
例えば昭和25年から数えて、平成18年は何年目に当たるのか?という問いに、パッと答えが出る方は少ないと思います。どのようにして計算するのか、誰かに教えていただきたいくらいです。そもそも大正何年と昭和元年が一緒なのか、昭和何年と平成元年が一緒なのか全国民が知っているとは思えません。
又、どうして元号には数学の始まりであるゼロ年という概念はないのでしょうか?
歴史の流れ・継続性を考える上では、西暦の方がずっと理解しやすいと思います。
 先ほどの答えは分りましたか? 答えは56年目です。(私は1950年生まれなので・・・)。

投稿: 松本佳久。 | 2006.04.05 09:05

本当に西暦と元号は、日常生活でも講義などをする際にも困ります。西暦と元号を、相互にどうして算出するか、ということを、ある葬儀の通夜のときに暇だったので、話題にしてみたところ、70歳代、80歳代の人には、現在でも「昭和90年には、・・・」と言って計算している方もいました。私は、西暦と元号の相互換算には、10本の指を動員します。何とも情けないですが。89年を1にして、ときどき手の指で平成の年を出したりしているのです・・・

投稿: 木佐 | 2006.04.07 23:41

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