巨星、墜つ。室井力先生、ご逝去
日が改まったので、昨日2006年6月8 9日、元・名古屋大学教授の室井力先生がお亡くなりになったとの報が、各種ルートで一斉に入ってきました。現在、6月10日午前0時半の時点では、一切の有料のニュース・新聞記事でも検索にかかりませんので、お亡くなりになった時刻や正式な病名は判明しません。
お知らせによれば、「通夜・葬儀はご親族のみで行われる」とのことですので、すぐにお悔やみに参上することはご遠慮しました。
先生から教わること、33年間でした。
室井先生には、たくさんのお弟子さんがおられ、私はそのもっとも遠い周辺にいるに過ぎない存在ですが、大学院修士の1年目の頃から、実に多くのことを学ばせて頂きました。その修士1年目だったと思いますが、集中講義の際に、行政訴訟法について報告したとき、行政訴訟(法)のイデオロギー性を扱い、少し褒めて頂いた記憶があります。今でも、私の考え方は、変わっていません。今現在は、行政不服審査法の改正問題と、この基本的な発想で対峙しなければなりません。
今夜は、一つだけ、先生のお言葉で、私に最も印象深く残っているものを。
「研究者(学者)は、学問に対して操を守れ!」
若い研究者は、この言葉の意味すること自体を理解できないのではないか、とも思います。先生のご忠告として、私は守っているつもりなのですが、誘惑に打ち勝たないと守れないものだと思います。
思い出すことは本当に尽きません。あの合宿時、この学会、今村成和先生とのけっさくな話・・・。人間味溢れ、院生や助手には非常に怖い存在で、しかし、不法な権力には毅然と立ち向かう巨星。そのような星が、天空を流れていった今、行政法学界としてみたとき、時代は別のところに入っていったような気がします。
先生が深く関わったいらっしゃった<自治問題研究叢書>シリーズの5月末に出た最新刊、三橋・榊原編『行政民間化の公共性分析』の書籍の帯に推薦文を書かせていただいたのは、何かの因縁があってのことだったのでしょう。
先生のご冥福を、遠くからお祈りする次第です。
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コメント
いくつかの訃報では、通夜と葬儀の日程のみの連絡でしたので、通夜の前日にお亡くなりになったものと解釈しましたが、名古屋大学の同僚からのお知らせでは8日のご逝去ということですので、謹んで訂正致します。
投稿: 木佐 | 2006.06.13 23:33
あの室井先生のご逝去のことですから、ある程度は、コメントがあるかな、と思っていたのですが、皆無でした。確かに、日経テレコンで調べた限りでは、6月13日になって大阪読売新聞が112文字だけの訃報記事を載せているだけで、他紙や他のメディアでも一切の報道はないようです。検索で見る限り中日新聞にも載っていないようです。やはり近年ご病気で、お仕事の面であまり学界でも社会的にもお名前が出ていなかったからでしょうか。非常に残念な気がします。誰か、追悼の言葉でも寄せて頂くと個人的には嬉しいというか、また、想い出を感ずるきっかけになるのでは、と思うのですが。
投稿: 木佐 | 2006.06.14 11:11
室井 力氏の訃報をはじめてこのブログで知り、愕然としています。
思えば終戦間もない昭和23~24年頃、同じ津山の高校で学び卒後
彼は岡山大学に私は大阪の大学へと分かれ、仕事の都合で岡山に居住していた僅かな期間にこの若き学匠(岡山大学法学部助手時代)と再会し大いに国家を論じ世相を論じた。 彼との再会はUNEという粋なフランス名のバーで、とてつもない美女(奥さんか?)を同伴してきたのを覚えている。4~5年前孫娘が名古屋大へ進学したこともあり、大学事務局に彼へのアクセスを求めたが返事を得られなかったのが今では唯一の悔やみだ。 懐の大きな人物で衒学を嫌う粋人であった。 心からご冥福を祈ります。
投稿: An old friend | 2007.04.26 09:09