受講学生の規模と教育内容の質
私は、ロースクールの当初から制度設計や教育に携わっていたわけではないので、2006年度が通年での教育の最初の年度でした。昨日(正確には一昨日の火曜日)、最終回の講義が終わり、1年間がとりあえず終わったことになりました。
この後期に担当したのは、前期と異なり3年生向けで、しかも選択科目ですから、必要単位を取り終わっている学生にとって、関心がなければ来ない、という類のものです。ほぼすべての学生が司法試験勉強に専念する中で、7名の受講者があり、この数字は最後まで保たれました。火曜日2時限目の講義(演習)ですが、大体、前週の金曜の夜までに設例・宿題・判例素材(これはダウンロードするように指示)を提供しておき、月曜の夜までに自分なりの回答をワード形式のファイルで私に送信するという仕組みをとりました。
そして、全員の了解の上で、全員の回答案を、氏名・学生番号などを消して、1本のファイルにし、【A】さん、【B】さん、という風に構成し直し(その順序はいつもランダムに)、深夜に再度配信しておきます。それを元に、論点中心で議論をしていきました。15回の演習では、それまでの講義で深い議論をする余裕のない事柄を、あるときは、謎解きのように扱っていきます。こうした講義(演習)ができたのは、参加者が7名であったからこそです。さて、教員がタッチできない匿名アンケートではどういう評価がなされたやら・・・
1年間の講義を終えた今、次年度のシラバスはすでに提出済み。4月1日から講義が始まる新年度は、我がロースクールのカリキュラム改革の関係もあって、一挙に50人クラスを3つも担当することになります。こうなると、超少人数教育のいいところは発揮できなくなりますし、非常に優秀な方から、本当の初心者に近い方までが一挙に受講者になりますので、講義内容の水準をどうするか、いくら思案してもきりがありません。そして、学期末のアンケート調査では、べた褒めから、ボロボロにくさされる評価まで、例えようもなく読みたくない集計結果が出てきます。いまから、憂鬱です。どういう受講態度であった方が、どのような評価をしているのかが、統計処理では分からないのがつらいところです。
今から、取り越し苦労、というか、年度越し苦労というか・・・。
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コメント
7人とはいいゼミでしたねえ。4人くらいが病欠がでてもゼミができるぎりぎりで全員がやる気があれば理想的です。
1980年代の京大さつき会(司法試験受験用の団体)では、チューターとして司法試験合格者がついて4~10名くらいでゼミ方式で2~4回向けにやっていました。京大の答案練習会(新司法試験になってなくなったようですが)は択一合格者が入試におちるような高レベルでしたが、答案検討会も4~8名くらいの受験生にチューター1~2名ついていました。意味のある答案をつけるにはこの程度のチューターは欲しいとおもいます。
投稿: madi | 2007.02.26 01:29
madi さん。FLAWの管理者でいらっしゃる・・・madi さんですよね。お久しぶりです。コメント有り難うございます。次年度(4月から)は、カリキュラム改革の関係もあり、50人の3クラスを担当します。本当に今から、気が滅入ってしまいます。どうしたら、批判が少なくなるのか、対処策につい頭がいってします。同僚達の間での話では、クレームを出す学生は、優秀な層からは少ない、という声もあるのですが、本当のところ、どうなのか・・・。いずれにせよ、少人数教育はやりがいがありました。
投稿: きさ | 2007.03.10 02:06