まじめに書こう、入力しようとしても、データがない!!!
コンピューターが受け付けない!!!
入力項目が多すぎる!!!
しかも、利用・活用実績はほとんどない!!!
今回の作業も、ボーナスの差額支給評価基準には使わないという!!!
この2007年5月31日正午までに、「九州大学教員業績評価の実施について」(平成18年・総長裁定)に基づき、全学の教員全員が自己評価を行い、複数のインターネット入力システムで入力して、印刷したものを庶務係に提出するように求められています。大変、複雑なものです。
今回は、平成18年度分についての「試行評価」なのだそうですが、入力可能なのは大学研究室のPCからのみ、しかし、関連資料は、私の場合、全部自宅にあります。
この入力作業は、別紙の通り67項目について要求されています。まさに、膨大な事項です。しかし、私どもの管理職は、簡単なことだ、と教授会でも言い切っていますので、おそらく入力するデータの量が違うのでしょうね。
法学系では、文献を引用する場合、発行年は書いても、発行月を書く慣習・慣行はありませんでしたから、過去の自分の業績記録をみても、発行月などわかりません。しかし、数年前に書かされた法科大学院(ロー・スクール)の教員個人調書も、文部科学省の基準に従い、すべて発行月を書かなければなりませんでした。しかも、すべて元号で。これには往生しました。しかし、このときは、ペーパーで出せば済んだので、発行月のない書籍である、と説明したら一応、それで済みました(私の場合、この調書データが、九大法学研究院内部で消滅し、1昨年に急遽書き直しをさせられました(このときの調書データ管理の教員側責任者は出世。関係者の誰も紛失責任は問われなかった)。このために数晩の徹夜を余儀なくされました。少なからぬ同僚は、調書なんて短いものだから簡単に書けるはずだ、と言いました。しかし、私の調書はA4サイズで24枚。わずかな手がかりのデータをもとに、学生とゼミ旅行に行った際に、私だけが安いビジネスホテルに泊まって、幸いつながったインターネット環境を利用して徹夜で、「発行月」だけをいろいろなデータベースにアクセスして調べまくりました。この紛失事件の経緯と比較的最近出された調査委員会の報告書などの顛末についてはいずれ改めて書きます。調査報告書は、教授会で全文読み上げられ、かつ、回覧されたのに、木佐本人には手交されませんでした。私は、特定銀行から大学に手数料を納め「情報公開制度」と「個人情報保護制度」を使って、当該報告書を入手せざるを得ませんでした。制度運用の犠牲者は、さらに金銭的・時間的な犠牲も負担するシクミ)。
今回、入力を求められている九大のシステムでは、逆に西暦です。加えて、発行(刊行)月まで書かなければ、システム上、入力が受け付けられないようです。ところが、ドイツで発行される書籍には、発行月の表示はありません。したがって、自分が編集の任に当たった重要な書籍でも、このシステムでは、大学のサーバが受け付けてくれないため業績として残らないのです。仮に、ウソの発行月を入れれば、機械はウソと見破りませんので入力自体はできますが、明らかに発行月でない月を入力するわけにはいきません。後で、九大のコンピューター・システムの事情を知らない方から、ウソのデータだ、と指摘され、社会的に批判されればひとたまりもありません。
入力すべき項目はあまりに多岐にわたります。この何年間も教授会で、私だけが、FD(ファカルティ・ディベロップメント=教育などの研修会)の記録くらいは、事務室で一元的に提供して欲しいと毎回言い続けてきましたが、管理職は聞く耳を持ちません。その結果、下記のように、5月23日現在のデータですが、デタラメとうか、テキトーな入力が行われています。
このようなデータの入力比率が学内全体で、学部(研究院)単位で競われ、一定比率に満たないと、罰として、予算が配分されない仕組みになっています(いわゆる「予算の傾斜配分」)。そこで、「ともかく、ウソでもデタラメでも、要記入項目を埋めておけ」という指導が管理職から行われています。
このFDについては、大学当局は、「開催年月、主催組織、役割、名称、参加者数」を明示して記入するように求めていますが、毎年、10回以上行われるFD(法学研究院とロー・スクールの双方に所属する教員はもっと多い回数になっています)を、管理職たちも正確には入力していないのです(正確に入力できるはずがない)。
このようなデタラメは、FD項目だけではありません。入力比率を上げるために、ある種の作業が行われているのですが、おそらく他の部局でも同様ではないでしょうか。
大学本部の担当者(係長級など)に、公開項目とされているこの記録を、何らかの資料として使ったことがあるのかを問いただしたところ、使用実績はない、とのことでした。この種の無駄な作業にこき使われている実態・事柄については、今後とも続けて書くことにします。
嘘つきは、泥棒の始まり、と言いますが、善悪の違い、適法違法の違いについて、ますます大学全体、学部(研究院)も麻痺してきたように思います。
私は過去の教育・研究の記録も、月単位で整理しておこうと思ったために、今週の金・土・日も全部、この整理作業で時間が見事に奪われていきます。せっかく入力しても、研究・教育に関する業績はボーナスの差額支給基準には一切反映しない、と5月23日の教授会で研究院長は、明言しました。研究と教育に情熱を持つ若い教員には、転勤先探しをすることを勧めます。
【公開されている研究者業績データベースからのFD参加情報の引用】 A~D以外は、あくまでも偶然に、ランダムに引用していますが、不十分さ、デタラメぶりがわかると思います。FDがこれほど不統一に行われているハズはないのです。こんなデタラメが、大学を良い方向に向かわせるために何らかの貢献をするのでしょうか? 私には不思議です。
A教授からD教授は、管理職(現職または前職)です。
【A教授】
2007.04,部局,参加,コアセミナーFD.
2007.03,部局,参加,大学院教育の実質化について.
2004.03,部局,参加,法科大学院研修会.
2004.09,部局,参加,前期授業評価アンケートに関するFD.
2004.11,部局,参加,授業のあり方についてのFD.
2005.03,部局,参加,法科大学院教育に関する外部評価委員との意見交換会.
2005.03,全学,参加,全学FD.
2005.05,部局,企画,法学府教育の方向性および全学教育に関するFD.
2005.10,部局,参加,新司法試験と法科大学院教育に関するFD.
【B教授】
2007.03,部局,参加,大学院教育の「実質化」について.
2005.03,全学,パネリスト,大学院教育の新展開.
2005.05,部局,司会,法科大学院設置後の法学部・法学府のあり方について.
【C教授】
記載なし
【D教授】
2005.06,部局,参加,学生の履修状況について.
2005.09,部局,参加,法科大学院成績評価のあり方について.
【E教授】
2002,部局,参加,詳細不明.
2003,部局,参加,記録を手元に残していないので詳細不明.
【F教授】
記載なし
【G教授】
2004.04,全学,参加,平成16年度第1回全学FD.
【H教授】
2002,全学,参加,平成14年度第2回全学FD.
【I教授】
2006.10,部局,参加,法科大学院FD.
2006.09,部局,参加,法科大学院FD.
2006.05,部局,参加,法科大学院FD.
2006.04,部局,参加,法科大学院FD.
2005.06,全学,参加,法科大学院FD.
2005.05,部局,参加,法科大学院FD.
2005.04,部局,参加,法科大学院FD.
2005.01,部局,参加,法科大学院FD.
2004.02,部局,参加,法科大学院FD.
2004.01,部局,参加,法科大学院FD.
【木佐】
2003.11,部局,パネリスト,ロー・スクール設置に向けた合宿FD.
(私は、FDのデータの全部を保管していないため、わからない。とても、毎回のFDの参加者数を自分で数えている余裕はない。出入りも多いことであるし。今回、なるべくデータを埋めようとしているが、とても一元的な記録はない。他に埋めなければならない重要項目が多すぎる)