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2008.10.07

ブーメランになった本

 今日、2008年10月7日、自著『人間の尊厳と司法権 ― 西ドイツ司法改革に学ぶ』(1990年3月刊)が、18年7カ月ぶりに戻ってきました。発刊直後に、1990年3月12日の日付で自筆署名を入れ、献呈先のお名前を書き入れた本です。

 アマゾンの中古商品で売りに出されていたものを買い戻したものです。すでに、在庫はほぼないはずですので、「利殖」(?)を兼ねてのものです。新品なら5250円ですが、1600円台で売られています。送料は自己負担ですが、半額以下で入手したことになります。拙著でネット古本市場に出ているものの中には、売価1円というのも珍しくありません(ただし、送料は340円)。

 なにしろ、今回は、「本体は表紙の見返しに名前等の書き込みがあります」というコメントがあったので、ともかく絶対に入手しなければ、と発注しました。送られてきた本には、私の名前のほかに、まだ若い、尊敬している方のお名前が・・・。まったくページをめくった形跡はありません。18年前の出版当時には、印税のすべてを使ってこの本を購入し、すべて謹呈用としました。そのお一人から古本マーケットへ。

 ひょっとして、この方から借りた人が勝手に売ったのかも知れません。事情はご本人にも永久に聞くことはありません。ただ、会ったときには、ちょっと話しづらい気分になるのかも。

 絶版になっている以上、買い増し(買い取り)は続けます。

 ちなみに、私は、謹呈していただいた本をやむをえぬ事情で廃棄する場合には、すべて有料の処理場に車で運ぶことにしています。誰か善意の方に渡ったとしても、さらに、その後のことを考えますから。

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コメント

え??ひとにネーム入りであげた本が、そのあげた先のひとから売りにだされていたということですか??

投稿: DT | 2008.10.10 13:14

まぁ、そうだろうと思いますが、本文でも書きましたように、誰かに貸してあげたが、本人は貸したことを忘れた、そこで借り受けた人が引っ越しなどのついでに売り出した、ということもありそうです。ただ、今回の場合には、売ってくれた人の住所と差し上げた方の住所が近いので、受贈者が古書店に売られたのではないでしょうか。でも、それは推測でしかありません。他の方からいただいた本ブログを読んでからの情報では、その種の本がさらに他のネット書店には出ているようです。「表紙の裏にネーム入り」、といった販売者情報が書いてありますからね。

投稿: きさ | 2008.10.11 00:07

 う~ん、なるほど。しかしいずれにせよ、悪気はないかもしれないですよね。本棚がいっぱいになって、さらに部屋も本で埋もれてしまって、止むに止まれず、著書をくれたひとには悪いなーと思いながらも売ってしまったとか。
 他にも、①あまりに部屋を散らかしすぎて、知らぬ間に「整理」の名の下に奥さんに勝手に売っ払われたが、本人もいくばくかの書籍が無くなっていることに気付かないとか、②昔の女の家にいくつか書籍を置いていたが、当該女と別れたかその家にいつしか通わなくなって、当該書籍を回収しないままになっていたところ、当該昔の女に勝手に売っ払われた、③実家に書籍を置いていたところ、母親が掃除のときに当該書籍を見つけて古本と思って、古新聞・古雑誌とともに処分の憂き目に遭った、などどれもよくあることですよね。私も①~③のどれも経験があります。

投稿: DT | 2008.10.12 11:37

それにしても、自分が謹呈した作品を売りに出されるのは寂しいので、これを教訓に、今後私は誰かに自分の作品を謹呈するときには、『ご不要の場合、処分に困った場合などは、「里帰り」とご記載の上、当方までご返送ください。』と一言添えようと思いました。

投稿: DT | 2008.10.12 11:47

 でも、不要な本を送料を払ってまで送り返す、というのは「期待可能性」がありませんね。自分が謹呈した本は、相手方にとって保存価値がなかった、と諦めるべきでしょうか。
 私は、頂戴した本を捨てることができない性格であるため、ともかく溜まっていく一方です。著名な先生のテキストであれば、初版からの変遷をたどるためにも保存します。よって、あっさり捨てて研究室をきれいに整理整頓されている方を知るたびにとてもうらやましく思います。
 今の時代、ことにロー・スクールが始まってからは、研究活動など夢の夢としか思えない状況ですから、研究書や教科書などは大量に捨てても困らなくなっている自分がいるのに気づいています。

投稿: きさ | 2008.10.14 09:51

具体名はかけませんが、ある「超」有名学者のある方への自筆献呈本を学生時代に古書店で安価に購入して、今でも持ってているのが自慢です。被献呈者も著名人なことを数年前に初めて知り、ご家族に連絡を取らせていただき、有名学者と被献呈者とのご関係等、いろいろと興味深いエピソードを教えてもらいました。被献呈者が亡くなったときの蔵書整理の折、まさか献呈本とは思わず処分されてしまったもののようです。

投稿: かどまつ | 2008.10.18 10:04

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