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2009年6月の記事

2009.06.23

弁No.98 日本弁護士連合会人権擁護委員会への人権救済申立て

弁No.98 今日は、他の弁護士と共同で受任している事件で、その職責の重要性に照らして憲法上保障されている機関を相手方として、日弁連人権擁護委員会に対して人権救済の申立てをしました。

 本当にあちこちの公共機関で、尋常ではないことが、尋常でない形で起きている今は、いったいどう描写したらいいのか・・・

 別件で2000キロほど離れた自治体の現職議員と電話で話す機会がありましたが、今は、理屈・理論・筋道で考えることをしない風潮が目立つ、とおっしゃっていました。ごく普通の、そう革新的とは言えない議員のご発言ですが、やはりまともな方はそう感じておられるのですね。

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2009.06.21

<最近>の<あれ>

 全国町村会の『町村週報』の閑話休題に、「<最近>の<あれ>」という一見、わけのわからないタイトルで随想を書きました。

 思い当たる節のある方もいらっしゃるかと・・・

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2009.06.20

弁No.98 現代のお白州(その2)

Kuehlinghaupteingang弁No.98  かつて、ドイツ連邦憲法裁判所判事のキューリンク博士夫妻と訪れたときは、どこから入ったのか今では失念しています。写真を見る限り、正面(正門?)から入ったように見えます。

 そもそも、最高裁のホームページには、最高裁の所在地の地図もありませんし、傍聴人、当事者、代理人の入り口などの図面もありません。治安上の理由からでしょう。最寄りの地下鉄からの行き方は書いてありますが、羽田空港からの行き方とか、上野駅や東京駅で降りたときにどうしたらいいかは皆目わかりません。

 今回は、これまで何度も入った最高裁庁舎でありながら、初めて小法廷に入り、そのうちの第二小法廷の代理人席に、事件の順番が来てから、座りました。

 ホームページを見て、最高裁判所の裁判官の顔写真、経歴などの載っているページに辿り着ける人はどのくらいいるでしょうか。私は、今回、改めて最高裁のホームページから各最高裁判事の顔と名前を確認するために、次々とページをめくっていきましたが、簡単には辿り着けませんでした。仕方なく、検索で「最高裁判事」と入れて、各種文書の一覧を出させて、その上から何番目かにあるサイトに入ってやっと裁判官紹介のページに入りました。

 少なくとも、韓国でも台湾でも最高裁判事の集合写真や、個人写真の一覧があるなど、もっと分かりやすくできています。

 中国最高人民法院の裁判官たち  、台湾司法院の大法官たち韓国憲法裁判所の裁判官たち、それぞれの国・地域の最高裁判事らの若いこと! この点を比較するだけでも、日本はこれでいいのか、といよいよ深刻な気持ちになります。欧米になれば、ホームページも分かりやすいし、裁判官の顔ももっと見えています。


 さて、生まれて初めて入った代理人控え室は、案内された時点では、「検察官控室」という木札がかかっていました(それとも、横組みだったかな?)。代理人らが控室に入ってから、取り替えられましたが、いずれも職員の方たちがおられますので、写真撮影は無理でした。


 代理人や傍聴人の数よりも多いかと思われる職員らに常に気遣いいただいた(=監視された)状態の中で、判決言い渡しと弁論が始まりました。

 やはり、何か、「おかしい、違和感がある」。

 確かに、今日は、2件の判決言い渡しと2件の弁論でした。すべて、原判決を変更するためのものです。2つの口頭弁論には、それぞれ弁護士が4名ずつが代理人席に座りました。椅子が4脚しか用意してありません。それが上告人・被上告人のテーブルの大きさに合わせれば限度なのか、もう1脚くらい足せるのか、そこまでは観察出来ませんでした。通常のことなのか、今日は最大4名の代理人が出頭するという事前の予告で、4脚用意されていたのかわかりません。

 さて、言い渡しの2件はいずれも原判決を変更する行政事件で、自治体関係者と思われる複数の人が言い渡しと同時に外に駆けだしていきました。

 法壇には4人の裁判官しかいません。教科書類のみならず、法律にも各小法廷は5名からなると書いてあるのですが、今回は、第二小法廷。竹﨑博允長官は加わっていないため、4名です。

 だれが事件の裁判長かわかりません。何しろ、第二小法廷の長官以外の4名は、私は名前さえ知りません。司法に関する教科書の、該当部分の責任執筆者ではあるものの、第一小法廷と第三小法廷には親しい方や、名前だけは少なくとも知っているという方がほとんどであるのに、第二小法廷に知った裁判官の名前はありません。

 弁論が終わってからも、誰が裁判長役か分かりませんでした。最初の弁論と我々の2番目の事件は、裁判長が異なるのです。そのたびに、厳かに扉の奥から入廷される裁判官を起立・礼で迎えるのです。

 終了後に、小法廷の入り口の事件表示を見ましたが、裁判長のお名前も分かりません。
 職員の方に、判決言い渡しと1番目の弁論時の裁判長は誰か、2番目の事件は誰だったのか尋ねました。しばらくして、走って戻ってきてくれた職員は、最初は今井裁判官、2番目の弁論時は中川裁判官だと教えてくれました。2名の書記官の名前は、しっかりと事件表示の法廷入り口の紙に書いてあるのですが。

 2件の弁論のうち、当事者は事件ごとにワンセットですから、計4つの弁護士集団が廷内にいたわけですが、口頭で弁論要旨を述べたのは、私も代理人として加わっていた弁護団だけでした。

 参加することだけに意義がある、というような不思議な空間でした。ただ、弁護士経歴のうち、最高裁に代理人として入ることはほとんどないという現実があるためか、弁護士が家族・親族を連れてきていたりするグループもあって、高橋敏江戸の訴訟―御宿村一件顛末』(岩波新書、1996年)の時代とどれほど異なるのかなぁと思った次第です。

 私は、裁判長が誰だったかと聞いていたため退出が少し遅れました。ほぼすべての当事者・代理人・傍聴者はもう傍聴人入り口から出ていました。代理人の場合には、入ってきた玄関とは、異なります。

 判決言い渡しは、7月10日と指定されました。どんな理由で、どの部分がひっくり返るのか、皆目検討がつきません。
 
 いずれ、最高裁の裁判官室や、職員労働組合(全司法)の写真も載せることにしましょうか。

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2009.06.09

自治体法務・政策法務 北九州市政策法務自主研究会のこと

0902kitakyushukenkyukaimori 2009年5月5日付のブログでご紹介した札幌地方自治法研究会と同じ冊子に、実は、北九州市職員を中心とする北九州市政策法務自主研究会のことも紹介されておりました。最近、発行機関の許諾が得られましたので、ここに紹介させていただきます。

 九州では、九州自治体法務研究会が、ある意味で、全九州の母体となる自治体法務の研究会ですが、最近では、福岡グループのほかに、サテライト研究会が軌道に乗りつつあります。その一つが、北九州市政策法務自主研究会なのです。

  また、この研究会は、公開されていますので、九州自治体法務研究会のホームページでの案内もご覧ください。

 少しずつ、同一自治体内の議員だけの会派を超えた勉強会も生まれるようです。


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2009.06.05

弁No.97 現代のお白州

Dscf0239shueismallDscf0242hikizutte_small弁No.97 司法制度改革が終期に近づいているというのがもっぱらの法曹界での話ですが、やはりそれはとんでもない見解というべきでしょう。

 今まで、東京でタクシーに乗って「最高裁へ」と言って、どこにあるか知っている運転手に出会ったことはありません。
 今日もいつもの通りの「タクシー劇」から始まりました。私以外の弁護士・依頼者は、某ホテルに集合してから最高裁のもっとも大きな玄関口に向かったのですが、やはり運転手は最高裁の場所を知らなかったそうです。主任弁護士は、運転手に「国会議事堂近くにあるから、そこへ向かってくれ」と言って、近づいてから、あの建物が最高裁だ」と言って止めさせたそうです。
 私は、有楽町から乗りましたが、運転手は最高裁の場所は知っていました。しかし、正面玄関に止めて欲しい、と言ったものの「?」です。近づいて、最高裁の角っこにあるブロンズ像が見えても、どこが正面入り口か分からず、私が「右側へ」と言ったあと、運転手さんは、正面入り口の15メートルくらい手前のフェンスがあるところで止めようとします。あと、20メートルくらい先に、観光バスが何台も入る大きな入り口があるから、その前で、と言ってやっと正面を認識したようです。

 敷地に入る段階で、すでに各弁護士の名前の点検、点呼?がありました。たった2件の形ばかりの弁論のために、正面玄関に動員されている職員は4名も。『日独裁判官物語』の冒頭画面(場面)とそっくりです。いったん最高裁庁舎内に入ると、実に多数の職員の方々。同行の弁護士いわく。「この職員らの姿勢・ふるまいが、最高裁裁判官の個々の人柄とは違った権威主義的雰囲気を作るんだなぁ」

 我々、代理人も、本来の上告人本人や傍聴者と同じ入り口から入ると思っていたら、弁護士だけは、ナント正面から入ることになりました。同僚の3名の弁護士は、重い裁判資料をひきずっています。せめて車椅子で入れるようなスロープがあるかどうか気にしていましたが、ありませんでした。汗だくです。ともかく、我々4名は、修学旅行生なみに、また、外国からの貴賓客なみに、正面からです。出るときは、いっぱん傍聴者と同じ門からでした。

 最高裁庁舎に入ってから出るまで、ずっと職員の「お世話」になりっぱなしでした(つまり、終始、監視を受けていました)。

 日本で、「司法制度改革」の一部はあったけれど、「司法改革」はなかった、ということを改めて感じた一日でした。私が言う「司法制度改革」と「司法改革」の違いについては、この論稿と、『テキストブック現代司法〔第5版〕』277頁、280~288頁をご覧下さい。

 裁判そのものについては、次回以降に。         (この項、当然、続きます)

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2009.06.04

弁No.96 初めての最高裁上告審

弁No.96 今日は、ロースクールの講義を2コマ終えて上京です。

 「大阪国際空港事件」の空港は、伊丹空港のことか、関西新空港のことか、とロースクールの講義中に問いかけても「わからない」という若い世代の方に講義をすると、本当に講義時間がなくなります。大阪国際空港訴訟上告審判決と言っても、27年前の判決です。大多数の学生は生まれていません。

 過日、成田市内の公立高校を出た公法学者が、成田空港事件を大学院に入ってしばらく経つまで知らなかったという話を書きましたが、いまや、前提認識を共通化できない話が多すぎるようになりました。明治時代の官僚の方が、今よりも清潔だったかもしれない、という話をしてもピンと来ないようですし。

 このような学生諸君が無記名で自由に書ける講義のアンケート調査が今週一斉に行われています。結果は、遠慮会釈無く、公表されます。教員で退職者も自殺者も出ないのが不思議です。私のような気の弱い人間は、こういう無差別評価、年から年中続く入力作業が続くと、1日も早く教員を辞めたい、というより、年から年中、いつ、ロースクール教員を辞めることができるか、だけを考えているのが正直なところです。

 で、一見関係ないのですが、明日は、福岡高裁第三民事部平成19年3月22日判決(平成18年(ネ)第547号)(多くの判例データベースに載っています)の上告審口頭弁論が開かれます。一審で敗訴していた事件を、二審でひっくり返し(ここで、「宝塚市パチンコ店規制条例事件の最高裁(調査官)判決の限定解釈が行われていた)ていたのに、その判決をまた逆転させるための弁論です。もっとも、上告理由を読む限り、高裁判決のどの部分について、どのような観点から最高裁は見直すつもりなのかさっぱりわからないので、おそらく数分間で終わるであろう上告審の現場を見るしかありません。

 今まで、外国の憲法裁判所判事をお連れしたり、最高裁判事との面談のために、それぞれ異なる入り口から何回も入ったことのある最高裁ではありますが、明日は、当事者としての入り口から入ることになり、長官用、普通の最高裁判事用、職員用、当事者用といろいろある入り口の3つ目の門を味わうことになります。

 今日は、ロースクール学生に、講義中に、アジア諸国・地域の憲法裁判所の外観や内部写真もパワーポイントで見手続もらったところですが、おそらく先進国中もっとも閉ざされている最高裁の一つに、初めての角度から臨むことになります。

 弁護士登録をしてから約5年が終わろうとしています。この間、自分が関わった事件のうち、最高裁まで行ったのは刑事・民事で3つ目。今でも、刑事事件は無罪と信じています。あたかも、今日、足利事件で受刑者がDNA鑑定の結果、釈放。私が担当した被告人も、おそらく無実なのに2年近く刑務所に入れられました。軽微な事件だから裁判員制度の適用はあるはずないのですが、もし、市民が裁判官として入っていてくれたら確実に無罪だったでしょう。連絡をとってくれないので、シャバに出ているはずの彼の今の感想を聞く術はありません。

 もう1件の最高裁まで行った事件は、今、このブログの冒頭に紹介しているものですが、誤判だろうと思います。というより、上告された事件が最高裁判事の目に届くより前に、調査官(それとも書記官?)によって、三行半の決定が行われているのでしょう。

 明日の上告審法廷の自己印象は、また、載せることになるでしょう。

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