弁No.97 現代のお白州
弁No.97 司法制度改革が終期に近づいているというのがもっぱらの法曹界での話ですが、やはりそれはとんでもない見解というべきでしょう。
今まで、東京でタクシーに乗って「最高裁へ」と言って、どこにあるか知っている運転手に出会ったことはありません。
今日もいつもの通りの「タクシー劇」から始まりました。私以外の弁護士・依頼者は、某ホテルに集合してから最高裁のもっとも大きな玄関口に向かったのですが、やはり運転手は最高裁の場所を知らなかったそうです。主任弁護士は、運転手に「国会議事堂近くにあるから、そこへ向かってくれ」と言って、近づいてから、あの建物が最高裁だ」と言って止めさせたそうです。
私は、有楽町から乗りましたが、運転手は最高裁の場所は知っていました。しかし、正面玄関に止めて欲しい、と言ったものの「?」です。近づいて、最高裁の角っこにあるブロンズ像が見えても、どこが正面入り口か分からず、私が「右側へ」と言ったあと、運転手さんは、正面入り口の15メートルくらい手前のフェンスがあるところで止めようとします。あと、20メートルくらい先に、観光バスが何台も入る大きな入り口があるから、その前で、と言ってやっと正面を認識したようです。
敷地に入る段階で、すでに各弁護士の名前の点検、点呼?がありました。たった2件の形ばかりの弁論のために、正面玄関に動員されている職員は4名も。『日独裁判官物語』の冒頭画面(場面)とそっくりです。いったん最高裁庁舎内に入ると、実に多数の職員の方々。同行の弁護士いわく。「この職員らの姿勢・ふるまいが、最高裁裁判官の個々の人柄とは違った権威主義的雰囲気を作るんだなぁ」
我々、代理人も、本来の上告人本人や傍聴者と同じ入り口から入ると思っていたら、弁護士だけは、ナント正面から入ることになりました。同僚の3名の弁護士は、重い裁判資料をひきずっています。せめて車椅子で入れるようなスロープがあるかどうか気にしていましたが、ありませんでした。汗だくです。ともかく、我々4名は、修学旅行生なみに、また、外国からの貴賓客なみに、正面からです。出るときは、いっぱん傍聴者と同じ門からでした。
最高裁庁舎に入ってから出るまで、ずっと職員の「お世話」になりっぱなしでした(つまり、終始、監視を受けていました)。
日本で、「司法制度改革」の一部はあったけれど、「司法改革」はなかった、ということを改めて感じた一日でした。私が言う「司法制度改革」と「司法改革」の違いについては、この論稿と、『テキストブック現代司法〔第5版〕』277頁、280~288頁をご覧下さい。
裁判そのものについては、次回以降に。 (この項、当然、続きます)
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