『経済学は会話である』と言われてみて
毎日、書いておいた方が良いなぁ、と思うことが多々あるものの、なかなかその時間がありません。この時期、学生は授業がないから教員はヒマだろう、と世間では推測されているでしょうが、学期中に劣らず、書類に追われてばかり。
いざ、久しぶりに書こうとすると、いいきっかけになりそうなものが見つかりません。
今日は、こういう文章の引用から。
以下、引用:
「経済学者を自認するみなさん、あなたの会話が如何に奇妙かを考えたことがあるだろうか。経済学者が経済学語で日常生活を説明すれば、例えば、スーパーマーケットで洗剤を買っている女性に向かって「あなたは市場で交換を実現したのです。ある制約条件の下で、あなたはあなたの選好満足度を最大化したのです。」と言うようなものである。」
後藤和子「『経済学は会話である』を紐とけば」(『評論』177号(2010年2月号)(日本経済評論社)4頁)より
果たして、法律学では、どうなっているのでしょう。
ちなみに、後藤氏は、こうも書いておられます。
「アカデミックな世界に入るためには、その世界の適切な文献を読み、適切な人々を知り、複雑な概念を使って、他の人々の会話に貢献しなければならない。アカデミックな世界では、人々は論文を書き学会で発表し注目されるように努めるが、本当に注目を集められる学者はごく一部である。」
なかなか複雑な文章です。皮肉も入っているようです。いろいろな読み方が可能に思われ、この文自体を大学院の演習ででも取り上げて、しばらく討論するのもいいかと思います。『経済学は会話である』という(翻訳)書物自体が、人文科学、社会科学にも問題提起をしているということです。
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