行政・自治No.113 「組織としての記憶」力は?
行政・自治No.113 「 「組織としての記憶」力は? 」というタイトルで書いた町村週報用の閑話休題が校了となった今日は、朝日新聞の「天声人語」に、「記録に残る」ことと「記憶に残る」は、似て非なるところがある・・・と始まる一文が載っていました。
原稿提出後に、万が一のために、モニターとして読んでいただいた方々からの、日本の組織の「記憶」力に関する感想は、以下のようなものでした。この「組織としての記憶」力という言葉は、山口二郎・北大教授が1996年の講演の際に使われたものです。今回、自宅の資料の山の中から発掘しました。町村週報掲載の原文は、数日後には、掲載予定です。
〔Aさん〕
> 10年以上経ち、便利で優秀な物がどんどん世に出てきている中で、旧態依然の組織が多いのは、やはり公務員制度や官僚制度によるものでしょうか。
>
> 私は、事件の記憶を持ち続けられるのは被害を受けた方々だけのように思います。「組織としての記憶」は「個の記憶」が集まって出来ていて、被害者ではなくても「個の記憶」を持ち続けられる人間が増えれば「組織としての記憶」は新鮮なまま保ち続けられると思います。
> それとも「個の記憶」があっても組織や集団になってしまうと、個が持っている記憶は失われるものなのでしょうか?
>
> 「日本の役所には組織としての記憶力がない」という部分を読み、他の国の組織としての記憶力が気になりました。
〔Bさん〕
> 「組織としての記憶」を有印公文書偽造の形で平気で作る公的組織さえある」の部分は、先生の怒りが伝わってきます。
>
> 少し話しが拡散しますが、どこの役所でも、人事異動に際して「事務引継ぎ書」が作成されるのですが、これが後任者に役にたつことは、ほとんどありません。
>
> それは、本当にかかえこんでいる「課題」については文書化されず、口述伝承されるだけだからです。
>
> その結果、「事務引継ぎ書」には、
> ・どうでもいい解決済みの事項
> ・課題のふりをしているだけの実現不可能な「たわごと」
> みたいなものだけが記述されることになります。
> あぶないことは文書化しないという暗黙の了解のようなものがあり、「課題=あぶないこと」のためか、結局、大切なことは何も引き継がれません。
>
> 法制を担当しているときに相談記録を作成していましたが、私の異動後、記録が積み重ねられることはありませんでした。しかし、何かことがあると古い記録が持ち出されてきます。利用されてはいるが更新されていないということです。まあ、10年前の六法で立ち向かっていく、ドン・キーホーテですね。
>
> これは、もとの部署に戻ったときに、見覚えのある「事務引継ぎ書」と「まだB5版のままの相談記録簿」に再会することになり感じたことです。
〔Cさん〕
> 組織としての役所は国も地方も殆ど進化していないような気がします。
> 天下り問題も結構ですが、採用、研修、評価のあり方を根本から見直し、皆が抱く公務員像そのものの改革を図ることが急務です。
> 私の知っている感性豊かな官僚も、辞めたり、はみ出し者扱いされています。
〔Dさん〕
> 組織としての記憶、興味深く拝読させていただきました。
>
> 先生のおっしゃっていることとは視点がずれますが、この春、新職場に異動して、うんざりしたのが資料が意味もなく残されていることです。記憶を残すべく、何十年も前の書類が書庫に埋もれているのですが、何の意味があるのでしょうか。いらぬ書類の山を、少しずつ切り崩しております。
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