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2011年5月の記事

2011.05.17

行政・自治No.142 正義に適った義援金配分を(その4)

行政・自治No.142 引き続き、RKB毎日放送の「今日感テレビ」からです。日時は飛んで、震災後約2年経った2007年1月25日放送分です。

 福岡県西方沖地震の被害に対して、福岡県の配分委員会は、死者160万円、重傷(3か月以上)80万円、重傷(1か月以上)48万円、全壊32万円、半壊16万円、一部損壊3万2千円という基準を立てました。しかし、実際に何にいくら使うかは自治体の判断に委ねたそうです。重傷者にまったく渡さなかった自治体もあるそうです。この放送時点で、半数の自治体は、配分された義援金の配分先・方法が決まっていないとのことでした。

 重傷者48万円という基準が県レベルでは決まったものの、何に使用するかは自治体にまかされたため、同じ重傷者でも、市町村ごとに、48万円、20万円、10万円、3万円、支給なし、と分かれたそうです。10自治体は被災者がなかったそうですが、配分はあったようです。他方で、震源地から遠かった田川市でも一部損壊家庭は出ていますが、田川市は市内の災害は大きくないとして義援金を募集しました。これはこれで大変結構なことで、集まった88万円を福岡市に送ったそうです。福岡市は、これをいったん福岡県に預けたそうです。その後、県の配分委員会は、田川市に9万6千円を義援金として交付しました。田川市では市役所のガラスの補修代として使用されました。災害後、2年以上経っているから、そういう途しか残っていないのでしょう。市民は、田川市内で取材した記者に対し「(被災地へ)行ったものだと思っていた。おかしいですね。なんでそんなことになるのですかねぇ。地震に遭った家庭に配分すべきだと思いますよ。」と言っています。

 報道によれば、新潟県では、義援金に対する厳格な規定があります。県は、配分前に市町村を集め、その後、使途を明確にして情報公開をしていたそうです。情報公開が行われていると言っても、支給された人の固有名詞があがっているわけではないので、本当の正確なところまではわかりませんが。

 ちなみに、福岡県の義援金配分委員会は、2007年の放送時点では、

  日赤福岡県支部事務局長
  福岡県社会福祉事業協議会長
  西日本新聞社社長
  NHK福岡放送局長
  福岡県保健福祉部長
  福岡県保健福祉課長
  福岡県国保・援護課長
  福岡県県民情報広報課長
  福岡県消防防災課長
  福岡県出納事務局総務課長

  でした。今は、委員構成は変わっていると思います。

 このブログの読者の方々は、このメンバー構成で、正義に適った義援金配分ができると感じられるかどうか・・・・

 私が、テレビでコメントした内容です。「配分のポイント・基準が問題。メンバー構成にも問題。具体的な基準は災害の種類、性質によって決めるべき。長年災害ボランティアをしている方、被災地代表の市町村長なども入るべき」。
 善意に応えるためには、情報公開をはじめとしてさまざまな課題があることがわかります。

 アナウンサーの締めくくりの言葉。「次の災害のための対策のうちの一つに、義援金の問題を入れておかなければならないのではないでしょうか」。かくして、今回の大震災につながっていきます。

 思い起こせば、この頃には、福岡県の副知事らと県町村会との癒着問題が同時進行していたのですね。

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2011.05.16

行政・自治No.141 正義に適った義援金配分を(その3)

行政・自治No.141 現実には、義援金が寄付した方の意志に沿って使われないという実例を紹介して、今回の東日本大震災で今後いっそう重要になる義援金配分について、失敗例をご紹介しておくことにします。

 福岡県西方沖地震は、2005年(平成17年)3月20日に起きましたが、義援金配分問題は、ずっと長引きました。今でも、ひょっとすると「埋蔵金」になっているものがあるかもしれません。

 2006年8月30日に福岡・地元テレビ局「RKB毎日放送」が夕方6時から流した「今日感テレビ」の特集を述べます。

 この西方沖地震に寄せられた10億2600万円義援金(全体でいくらの義援金が集まったかは、結局、わかりません。この放送は、10億円余の義援金を県が仕切ったという前提から出発しています。)のうち、約8割は被災者に渡ったが、目的外使用や未使用額が多いということをスクープ報道しました。

 このような報道は、本来は、「スクープ」というほどのものではなく、記者が自分の足で歩いて取材をしておれば、そう能力が高くなくても作ることのできる記事やニュースのはずです。役所提供情報しか流さない傾向のある近時の報道としては、とても目立ったのがこのニュースです。それでも、この報道で地道な取材をした女性記者は大変な努力をされました。

 当時のビデオから再現します。福岡県前原市では、市の担当者が「義援金を使い切れなかった。防災グッズも買い切れなかった。老朽化した公民館の建て替え費用に使ったところもある」と述べています。県から前原市に配分された8,300万円のうち500万円だけが被災者に配分されました。そこで、前原市の行政書士・加納義郎氏が、市に住民監査請求をしました。その結末は、まったくわかりません。

 放送では、県に留保された義援金で、役所で預かりになった金、地域の行政区でプールされたままであったりしているようです。今となれば、地域自治会会長のポケット・マネーになったものがないかどうか気になります。

 当時の福岡県地域防災計画には義援金の使途も一応書いてあります。配分委員会委員長は、福岡県の保険福祉部長で、「(家屋の)一部損壊家庭には配分を見合わせた。「以前からの損壊箇所との区別がつかないから」という理由です。「日赤は被害者に届ける」という当時の資料に書かれた言葉も流れていましたが、日赤と県との関係も不明瞭なままでした。

 県では、1日の受講費が5万3千円かかる防災士の養成講座に参加した114人分、計530万円(計算は合いませんが、放送の通り記載)が義援金から支出されています。先の県の配分委員会委員長は、今後の防災対策、災害復旧に役立つので、「義援金の趣旨に沿うものだと考えた」と述べています。

 筑紫野市でも1割しか、個人に配分されていませんでした。

 この日の放送では、2004年(平成16年)10月23日に起きた新潟県中越地震との比較をしています。新潟県では367億円が集まりましたが、大きな議論があり、詳細な義援金配分計画ができたようです。「義援金は被災者への見舞金である」という発想で1ヵ月以内で配分を始めたそうで、詳しく情報公開をしています。そうした先例があるにも拘わらず、福岡県は学んでいなかったのです。

 福岡県は自治体への配分金額以外の内容は、当時は情報公開をしていません。この日の放送で、アナウンサーは、「福岡では、(義援金は)誰に行くかわからないということを心しておかなければなりませんね」という意味の皮肉を言って締めています。 (続く)

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2011.05.13

行政・自治No.140 正義に適った義援金配分を(その2)

行政・自治No.140 前回の「正義に適った義援金配分を(その1) 」にリンクを張った全国町村会の『町村週報』では、数行しか書けませんでしたが、まず、自治体に配分ないし送金される災害義援金について、少しだけ追加しておきます。

 長崎市では、1982年の大水害の際に多額の義援金が集まりました。この水害義援金が歳入歳計外現金として管理され、このうちの一部が市長により自らの選挙直前に水害被害とは関係のない自治会に配分されたとして争われた事件があります。

 住民によってこの行為が市長自身の選挙活動に支出したものであるとして、市長の損害賠償責任住民訴訟で争われました。

 長崎地裁の判決は、義援金の「配分それ自体により、地方公共団体が利益を得あるいは損害を受けることはない」としています。長崎地判昭59年9月5日『判例住民訴訟』(ぎょうせい)1411・182頁。

 義援金は、それが自治体に寄託された公金と考えるのが自然でしょう。首長の私物(私金)となってよいという趣旨で義援金を出す人はいないはずです。地方自治法の財務一般に関する諸規定の中の「公金」と、住民訴訟で争える「公金」の意味が異なっても何の問題もないはずです。首長その他の者により個人的目的で支出されれば、当該自治体の損害と考えるのが適切でしょう。

 出典:木佐「住民訴訟」杉村敏正編『行政救済法1』(有斐閣・1990年)377頁(脱稿は、1987年)

 この長崎水害住民訴訟事件は、提起の当初より、原告住民の方から協力依頼があり、北大に行ってすぐの事件でしたので思い出深いものです。数え切れないほどの裁判事件のお手伝いをしましたが、敗訴したこの原告数名の方だけからは、事件終了後、お礼をもらいました。長崎産の魚の干物セットです。裁判でお手伝いをしてお礼をもらうことはありませんから記憶に鮮やかです。通常は、難しい事件の場合、弁護団の弁護士から依頼があります。そのような事件は、当該弁護団の弁護士にとっては、手弁当の持ち出し事件が多いですから、研究者が協力する場合も、「無報酬が当然」、という考え方があります。まぁ、そのような事件しか、相談を受けることはないですね。

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2011.05.10

中国に賠償請求できるかなぁ?

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 自家用車を洗車すると、決まって、翌日に雨が降ります。せっかく、ピカピカになったハズなのに。

 車は、黒色ですが、黄砂の影響で、白というか灰色というか変な色で、まだら模様になります。

 お隣の車は、本物の白色の車なのに、区別ができません。

 今日は、大学で駐車中に、ほぼ終日、雨が降りました。そろそろ洗車をしなければ恥ずかしいなぁと思っていた矢先の恵みの雨です。

 とは言いつつも、本当に洗車したほどにきれいになるわけではなく・・・


 中国政府に損害賠償請求をしてもいいかどうか。最近の黄砂にはセシウムまで含んでいる、というのですが。

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2011.05.09

ブログのコラボ、コラボのブログ 実験

 昨日のエントリーは、実は、数ヶ月準備した末のブログのコラボ、あるいは、コラボによるブログでした。

 「自治体法務の備忘録」という超有名な自治体法務関連のブログの作者、kei-zu さんと、長期にわたって(大げさ!)準備し、相前後してほぼ同時にアップしよう、と企んだものでした。

 kei-zu さん側のタイトルも、「[法令][法制執務]Re:条文不整合のまま10年以上の放置 …… 地方自治法本法条文」というものでした。

 同氏の解説も、じっくりお読みいただきますと幸いです。

 どうやら連係プレーは成功裏に終わったようです。

 私が、昨晩、ブログにアップロードしたのは、23時23分頃だったようです。kei-zu さんは、シャーシャーと、「諸資料確認をしたところ、やはり改正漏れの修正のようですね。」って、書かれていますが、kei-zu さんの反応は、わずかに10分以内のこと。こんなにうまくできている話って、あるはずないですね。

 数ヶ月にわたる kei-zu さんと私の検討・準備作業の後、改正法律が可決されてから、時間をずらさずに、一気に公開しよう、と、地方自治法改正の経過を調べた上で、策を練っての公開作業でした。今日の私のブログへの訪問者は、kei-zu さんブログ経由の方が圧倒的多数。いかに、kei-zu さんのブログが愛好されているかが証明されたようです。

 こういう形のブログ記事づくり、またやってみましょうか、という話になっています。

 そういえば、昔(いつのことだ?)、若手法律家の間で、話題を次々に別の研究者・院生らにバトンを渡していく、というゲーム(?)がありましたね。だれか、ひっかかってくれるかな?

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2011.05.08

行政・自治No.139 条文不整合のまま10年以上の放置 …… 地方自治法本法条文

行政・自治No.139 平成22(2011)年3月に提案された地方自治3法が、ようやく連休の谷間の5月2日に公布されました。

 提案後、ずいぶんと期間が経ってしまい、その内容については既に議論が尽くされている感がありますが、衆議院のサイトに掲載された地方自治法改正案を見ていて、気になることがありました。

 改正条文のうち291条の5に関して次のような記述があります。
--------------------------------
 第二百九十一条の五第一項中「次条第七項」を「次条第八項」に改める。
--------------------------------

 これは、291条の5において、次条7項を次条8項に変える、というのですが、総務省のサイトに掲載の新旧対照表の13ページで確認すると、ここでいう「次条」たる「291条の6」においては上記の項の移動がないのです。

 となれば、これは、現行地方自治法がミス状態になっているものをこっそり変えるということにしかみえません。
 機会は何度もあったにもかかわらず改正が行われなかったのは、盲腸のような重箱のスミをつついたような条項であるから誰もこのことに気づかなかったのか(まさか!)、それとも多数ある過去の改正の際には本条項の改正はふさわしくなかったからなのか、どうしてここまで改正提案がなかったのかが疑問です。

 政令・省令レベルでのミスではなく、しかも超・長期にわたって放置されていたとなれば、地方自治に関する基本法として憲法を保管する大きな役割を期待される法律としてはちょっと残念な気がします。

 加えて、この間、毎年改訂される逐条式のコンメンタールを含めて、主要な逐条解説や詳細な地方自治法改正本にも、一切このミスについて言及がないのも不思議でした。改訂作業に当たり、条文に当たっていないのだろうか、というのも気がかりです。

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