実に4か月を超えてのブログ更新です。なんか、年に数回更新ペースになっているみたいです。もともと論文を書く代わりにブログを始めたのですから、少し、書く頻度を高めます。
このところ、日本の裁判所に関して、注目すべき、書籍・論稿が出つつあります。ここでは、3つの論文・新書のみ取り上げます。〔2〕と〔3〕は、私どもからすれば、日本の裁判所の中枢に近いところにいたと考えられる二人の元・裁判官による裁判所批判に満ちた新書です。
刊行・出版順に言えば、次のとおりです。
〔1〕
宮川光治「時代の中の最高裁判所」自由と正義64巻6号(2013年)20-26頁(なお、東京弁護士会の会誌『LIBRA』2012年6月号(12巻6号)20-23頁にもインタビュー記事あり)
〔2〕
森 炎(もり ほのお)『司法権力の内幕 (ちくま新書)』 (筑摩書房、2013年12月10日初刷刊行)
〔3〕
瀬木 比呂志『絶望の裁判所(講談社現代新書)』(講談社、2014年2月20日初刷刊行)
〔1〕は、かつて青法協(青年法律家協会)に所属され、その後、司法研修所教官を務められ(その当時、私は、正式にインタビューさせていただきました)、さらに、最高裁判事を務められた現・弁護士による論稿。文献渉猟も十分になされたうえで、同氏が最高裁判事であった時代の最高裁、最高裁事務総局、内閣法制局への大きな信頼を述べ、日本の司法を完全に賛美される論稿です。
これに対して、〔2〕は、自動機械化された司法囚人として裁判官を描き、〔3〕も文字通り、「絶望の裁判所」を語り、旧ソ連に例えたり、「目に見えない檻のようなもの」(110頁、「ソフトな収容所群島」(113頁)、「全体主義的共産主義的体制に非常によく似ている」(118頁)と言われています。〔2〕も随所で、裁判所の絶望的状態を描写されています(「絶望的な、あまりに絶望的な実態」214頁)から、両著は、「絶望」裁判所シリーズになっています。
〔3〕については、何枚もの著者の写真入りインタビュー・コメントがあります。関心のある方は、早めに魚拓を取っておくべきでしょう。コピーしてワードに貼り付けるだけで写真も保存できます。
〔3〕では、宮川弁護士も所属されていた青法協狩りを「ブルー・パージ」と称して(第二次大戦後のレッド・パージとひっかけてある)、その成果を嬉々と語る最高裁判事らの話が出てきますが、〔1〕で宮川弁護士は、「最高裁は予想以上に自由で、聞かれていた。審議ではおおいに議論ができ、爽やかな人間関係であった。裁判官会議も積極的に問題提起をすれば(もっとも、その余裕はなかなかにないが)、議論できた。(改行)最高裁は1970年代のころと比較すると明らかに変わったと思う。」とされています。
逆に、〔3〕の瀬木・元裁判官は、2000年代以降に、裁判所、裁判官集団の官僚化、セクハラ・パワハラ等が急速に進行・増加したと書かれています(35,51,52,75,174頁)。
この〔1〕 対 〔2〕〔3〕の極端な違いはどこから来るのか、そのことへの関心が、4か月ぶりにブログを再開する契機です。
本論(と言ってもたいしたことは書けませんが)を書く前に今ひとつ、自分なりに整理しておきないことがあるので、それは、次稿にします。
「二〇〇〇年代の司法制度改革が・・・事務総局中心体制を無傷のまま温存してしまった」(117頁)のはその通りですが、「温存」のために事務総局がどれほど「司法改革つぶしに頑張った」のか、若干の資料はありますので、これから検証を開始しなければならないでしょう。