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2015年3月の記事

2015.03.30

九州大学 新キャンパス付近での山菜採り

Dscf7061_rDscf7064_rDscf7065_rDscf7069_rDscf7046_rDscf7047_r 〔各写真は、クリックで拡大可〕このブログ、連続して書くつもりでしたが、やはり新学期用の講義準備も入っていったん水入りとなりました。

 今、法科大学院(ロー・スクール)用の第1回教材をアップロードし終えたので、ちょっと、息抜きに、新しい九大キャンパス(伊都キャンパス)の周囲についてのお話です。

 九州大学の公式ホームページには、大学本部の所在地と代表電話番号が載っています。  

 http://www.kyushu-u.ac.jp/access/index.php

 これによると、所在地と代表電話番号は以下のとおりです。

 〒819-0395 福岡市西区元岡744  代表電話:092-642-2111
 
 グーグルでは、この地名を入れると、伊都キャンパスを指示します。ところが、グーグルで、この代表電話番号を入れて検索すると、地図では、箱崎キャンパスが示されます。私が私費で購入している地図ソフト(MapFan.net)では、この電話番号で検索すると、医学部・薬学部・歯学部のある馬出地区のキャンパスが指示されます。

 ここから、いろいろな問題が派生しているのですが、これについてはまたの機会にします。

 新キャンパスである伊都地区は自然に恵まれた環境にありますので、毎年、イノシシ駆除の学内通知が全教職員に配信されます。

  PDFファイル

 この新しいキャンパスの付近では、山野草が豊富なので、3週間ほど前の3月8日に、山菜採りに行ってきました。
 その成果は、ノビル、セリ、ツクシ、カラシ菜、ヨモギで、それも超立派なものばかりです。生活上、大変助かる上に、季節の旬のものを天からいただき、新キャンパスを企画してくださった方々に感謝しているところです。私にとって、一番おいしかったのはカラシ菜ですね。
 私の影が写真中央に写っているのは、セリの収穫中の様子です。小川のようなところは、川岸両面に長さ30センチもあるようなツクシが取り放題です。最後の写真は、カラシ菜の群生。そこでつぼみ段階のやわらかいものだけを種の断絶がないよう「配慮しつつ」多めにいただいてきました。来春も行かなければならないですから。講義やゼミに、ではなく、山菜採りに。本当は、シシ肉が欲しいのですが・・・

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2015.03.25

行政・自治No.167 行政法(学)で「地方自治」は基本原理なのか?

150307gyouseihoukihongenrijichinoho行政・自治No.167  私の地方自治法研究の原点が、行政法学体系の中に、地方自治の原理なるものが存在しうるのか、あるとすれば、どのように、体系の隅々にまで反映されることがべきか、そうだとして、それは可能であるか、というものでした。

 すでに、前回までに書いた杉村先生追悼文集に、長さ(ページ数・字数)の関係で載せることができなかったので、一部の論点に絞っていた簡略版を、少し詳細にしたものです。

 で、そのような、世間の方々にとってはどうでもいい問題を、ぐだぐだと扱ってみたということの証の文章です。

 昔(約40年前に)は、法学研究はどうあるべきか、ということを、「○○法における人間像」などと言って、大学院の汚い研究室でこんな議論をやっていたものです。ある法学理論なり法の体系、あるいは、裁判の判決は、各法律の分野で、具体的に「どのような人」を想定して考えるべきか、といった議論です。最近は、あまり聞かないような気がしますが、年のせいなのか・・・。

 木佐茂男「行政法学の基本原則と地方自治の法理」法政研究81巻4号(九州大学法学部創立九十周年記念論文集)(2015年3月)27~57頁

 → PDFファイル

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2015.03.24

行政・自治No.166 小論「杉村先生の地方自治論」

140910sugimuratsuitoujichironhyoush<行政・自治No.166 この「杉村先生の地方自治論」は、前回の行政・自治No.166(2015年3月22日付け)に書いた追悼文集に載せていただいた杉村先生のご業績のうちの「地方自治(法)」に関して、若干の検討をした小論です。実際には、先生の行政法学方法論に触れることも書いていたのですが、割り当てられた字数の2倍近くあったため、やむなく地方自治(法)に関連する部分のみに絞った後半部分の要約です。

 現在の中堅・若手の行政法研究者の主流とはスタンスが違うなぁ、と思うのが、第二次世界大戦のとき、学徒出陣などを経験した世代の先生方です。今、ご存命であれば90歳以上100歳過ぎくらいまでになる先生たちでしょう。
 第二次大戦後の人権感覚民主主義感覚が鋭く意識されていたと思います。

 そうしたことについては、次回(正確には、別の記事が途中に入るかもしれませんが)ご紹介するこの原稿の詳細版で、さらに時代背景を遡って書いています。これは、あくまで短縮版ということで、先に載せます。
 出版社著作権との関係では問題があるでしょうが、こういうものが載っているということで3月22日現在で50大学にしか所蔵されている本が少しでも売れれば・・・と。出版社の在庫が1冊でも減ることを願っております。

 木佐茂男「杉村先生の地方自治論」杉村先生追悼文集編集委員会(編)『杉村敏正先生の人と学問』(有斐閣、2014年)191~207頁

 「杉村先生の地方自治論」 → PDFファイル

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2015.03.23

弁No.128 最終版!?『テキストブック現代司法〔第6版〕』刊行

150213gendaisihou6auflmit弁No.128 本の奥付では、2015年3月20日発売になっていますが、しばらく前から、店頭にこの本が並んでいるはずです。共著『テキストブック現代司法〔第6版〕』(日本評論社)(2,900円+税)です。


 初版が1992年2月20日刊行ですから、帯の言葉にもあるように、「四半世紀にわりた読み継がれ」というのは、まんざらウソでもないかも・・・です。

 帯には、さらに、「<司法改革>先駆けの名著」とありますが、これは編集部や営業部が考えられたことなので、執筆者が知ったことではないですが、「あなたの関心こそが「司法改革」の希望の光」というのは事実だろうと思います。

 実は、第4版を出したのが、2000年4月。そのときは、司法改革も司法制度改革もどうなるか見えていませんでした。その後、9年間ロー・スクール(法科大学院)の設置と新しい教育義務に巻き込まれ、書くヒマもなければ、客観的評価もできない司法漂流もどきの長い期間。そして、2009年第5版を出したときは、当面の変化について、旧版の穴埋めをしたにとどまる感じで、まだ、ロー・スクールのこれほどの激変、弁護士業界の不景気?(というより、司法界全体の不景気)もしっかりとした予測はできていませんでした。今回は、章や節も大幅に入れ替え、従来にない大きな改編です。「法教育」など新たな項目もずいぶん加わりましたし、あるべき司法実現の課題として、最初や最後に、今までにない基礎的なことがらも書くしかない、という事態に見舞われました。21世紀に入るまでは多数あった司法に関する研究書も激減した感じで、それは共著者全員の感想です。

 『絶望の裁判所』を書いた瀬木比呂志・元裁判官が最近著された『ニッポンの裁判』(2015年1月)が話題になっています。エピソードとしては我々執筆者が知らなかったことがあるとはいえ、ほとんどのことは、この『テキストブック現代司法〔第6版〕』には書いてある、と自負しているところです。

 教科書的なレベルでまず類書はありませんので、手にとっていただければと思います。

 最高裁による情報公開の縮減も、写真入りで紹介しています。今後、このブログでは、テキストにページ数の関係で書けなかったことを原稿から抜き書きしたり、別の小さな論稿にして掲載する可能性が大きいです。

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2015.03.22

行政・自治No.165 杉村敏正先生の「勇気」

140910sugimurasenseicase行政・自治No.165 すでに、昨年(2014)年の9月に刊行された随想の紹介です。

 これから、飛び飛びになるかもしれませんが、2回ほど、杉村敏正先生追悼文集に掲載していただいた随想と小論、後者を詳細版にして、この3月に刊行された論文のことを書きます。

 私の大学院時代(22歳~27歳の5年間)の行政法の恩師である杉村敏正先生を追悼する文集が刊行されました。出版社の方の情報、つまり「この追悼文集も売れていない」ということだそうで、回り回って私の耳にも入りました。1冊でも読んでもらえる方があればいいと思い、紹介させていただきます。
 杉村先生に関連する4回のブログ記事が終われば、引き続き、拙著2冊の紹介をさせてもらう予定です。

 まずは、最初に、杉村先生追悼文集編集委員会(編)『杉村敏正先生の人と学問』(有斐閣、2014年)266~269頁に載せた随想「杉村先生の「勇気」」です。

 ここで、「勇気」とは何か、については、短いですので、内容をお読みいただければ、と思います。

 この本は、先生の薫陶を受けた研究者などの拠金によって刊行されました。

 第1部 座談会「杉村敏正先生の人と学問」
 第2部 杉村先生のご論考
 第3部 杉村行政法学の検討 計10編の論文
 第4部 杉村先生の想い出  計24編の随想

 今日、ご紹介するのは、第4部に載った私の随想です。
 次回は、第3部に載せていただいた小論を載せます。
 その後、この小論の詳細版を『法政研究』(九州大学)載せましたので、これをご紹介することにします。
 
 「杉村先生の「勇気」」 → PDFファイル

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2015.03.20

弁No.127「 償い」

131215_tsugunaichousonshuuhouno2902弁No.127  6か月ぶりのブログ更新です。毎日、何か書きたいこと、書くべきことはあるものの気が進みませんでした。

 全国町村週報のコラムに昨年12月に載せたものを、今頃になって転載します。原文は、いつもの町村週報のコラムと同様に約3倍の文字数で書いて、無理矢理、短縮化したものです。

 念頭に置いていたのは、長崎県で起きた高校生女子による家族殺人事件。ですが、同様の悲惨な事件はほとんど毎日のように起きています。

 加害者とされる人は、実は、人生の多くの場面で被害者ではなかったのか、そして、今、被害者だと自己認識している人もいつ気付かないままに加害者になっているのではないか。

 自分自身の過去を振り返ってみて、そういう思いをずっともってきたので、さだまさし氏作詞・作曲の「償い」を媒介に書いてみたものです。東京地裁の法廷で裁判長が「償い」のことを刑事事件の被告人少年に言われた話は有名です。後で、記事を追加するかもしれません。
 → コラム(PDF版

 全国町村会のコラム欄にも、過去の全コラムが載っています。最新のものが最上段です。
 → 『町村週報』コラム(木佐)

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